孤高の人だった。確固たる信念を持ち、それを貫くための準備を怠らない。理路整然と戦略を語り、時に冷徹な決断を下す。NFLの名門チーム、ピッツバーグ・スティーラーズの伝統を築いた名将チャック・ノールヘッドコーチ(HC)とはそういう人物だった。


 6月13日に82歳で亡くなったノールを抜きに、スティーラーズを語ることはできない。「スティールカーテン」の異名をとる強力ディフェンスや、70年代だけで4度のスーパーボウルを制覇した黄金時代は1969年のノールのHC就任とともに始まった。


 当時のスティーラーズは、創立以来一度しかプレーオフを経験していなかった弱小チーム。ノールもコルツで守備コーディネーターを担当する、まだ修行中の若手コーチでしかなかった。裏を返せば、名のある人物がHC就任を拒むほどスティーラーズはどん底にいた。


 ノールが最初に着手したのは「負の連鎖」を断ち切ることだった。オーナーのアート・ルーニーの息がかかった人物が歴代のHCを務め、選手との慣れあいの中で負けることを当たり前に受け入れてしまう緩んだ空気を一変する必要があった。
 そのためにノールは選手との間にあえて距離を置き、有能な人材をドラフトで集める一方でチームに貢献しない選手は冷酷に解雇した。このやり方はオーナーやその息子で人事担当者のダン・ルーニーとしばしば衝突したが、ノールが譲歩することはなかった。


 得意分野のディフェンスを中心に戦略を考案し、オフェンスはランを中心に組み立てた。これがノールの信じる「勝利の方程式」で、この考えを徹底的にチームに浸透させた。
 試合前の準備を重視し、「試合に勝つのは日曜日の午後1時ではなく、火曜日、水曜日、木曜日の準備だ」との名言を残した。


 そして、HC就任から6年目の1974年、スティーラーズはついに頂点を極める。この頃にはドラフトで発掘したDEジョー・グリーン、LBジャック・ハム、ジャック・ランバート、QBテリー・ブラッドショー、RBフランコ・ハリス、WRリン・スワンらがスター選手として育ち、かつての負の連鎖は完全に払しょくされていた。
 そして、スティーラーズに王朝時代が訪れ、ノールはNFL史上ただ一人、スーパーボウルで4度優勝したHCとなるのだ。


 趣味人でもあった。ジャズを愛し、料理の腕前もプロ並みで、パイロットの資格も持っていた。部下のコーチや選手にも趣味を持つように勧め、「フットボールだけの人生を送るな」と教え続けてきた。いずれ訪れる競技生活の終わりを、人生そのものの終着点にしてはいけないと説き続けたのだった。


 その言葉通り、1991年に引退をするとフットボールの表舞台から遠ざかった。「スティーラーズ以外のチームを指導することはない」と宣言し、ピッツバーグからほど近いセウィックリーという小さな街で余生を静かに送った。輝かしい功績に似つかわしくない、あまりにもあっさりとした幕引きだった。


 スティーラーズとNFLの歴史にその名を刻んだノール。名将がまた一人、天に召された。心より冥福を祈りたい。(ジャパンタイムズ記者・生沢 浩)

【写真】スーパーボウルを制し、空港でビンス・ロンバルディ杯を掲げて喜ぶスティーラーズのノールHC=1979年(AP=共同)