自宅からほど近い東京・駒沢オリンピック公園は、思い出深い場所である。
 1964年の東京五輪では、ホッケー競技が実施された駒沢第二球技場は、かつてアメリカンフットボールの関東大学リーグ戦のメイン会場で、陸上競技場は「関東大学選手権」決勝の舞台だった。


 1977年12月。明大と日大が関東の王座を懸けて「決勝」で対戦した。
 前半を終えて明大の20―0。一方的な展開に、誰もが「勝負あり」と思ったはずだ。しかし、日大はここから猛反撃に転じる。


 QB金井義明からWR秋山克未、大用和宏へのパスで点差を詰める。守備も後半無失点と奮闘し、ついに25―20と逆転した。
 LB農本吉彦主将率いる「フェニックス」が、3年ぶりに甲子園ボウルへの切符を手にした試合だった。


 関西から来たチームが「あの関東ローム層での試合は勘弁してほしい」と顔をしかめた駒沢第二は、雨が降ると泥田のようになり選手の動きに制限を加えた。悪条件をどちらが克服するかも、勝敗を左右した。そんな時代である。
 現在は人工芝が敷かれ、プレーする選手に優しいフィールドにその姿を変えている。


 勤労感謝の日の11月23日に、「駒二」で行われた全国高校選手権の関東地区決勝。東京の佼成学園が2連覇を果たした試合を観戦した後、懐かしくなって陸上競技場をのぞいてみた。


 フィールドの芝生は昔と違い、この時期も鮮やかな緑色をしている。時代の流れとはいえ「こういうところで試合をしたかったな」とふと思う。


 枯れた芝に足を取られた40年前。守備の後方からタックルに行き、肝を冷やしたその場所は、今でもはっきり覚えている。(編集長・宍戸博昭)

【写真】かつて「関東大学選手権」決勝が行われた駒沢陸上競技場は現在、春の「早慶戦」の舞台になっている