選手時代の実績と指導者としての資質は別物である。
 NFLなど、米プロスポーツでは当たり前の認識だが、日本ではまだ監督の人選で過去の名声がその地位に就く上での基準になる場合が少なくない。実務派よりスターが好まれる。


 プロ野球阪急ブレーブスの元監督、上田利治さんが7月1日に亡くなった。享年80。
 上田さんがプロ選手としてのキャリアをスタートさせた広島カープでの数字に見るべきものはない。しかしコーチ、監督としての才覚は群を抜いていた。プロの監督の先駆者的な存在だった。


 37歳の若さで阪急の監督に就任。日本シリーズでの3連覇など、決して人気球団とは言えなかったチームを、日本一の強豪に導いた手腕は高く評価されている。
 

 葬儀会場に展示されたアルバム。上田さんが笑っていたのは、お孫さんと遊んでいるときと日本シリーズで優勝しビールかけをしている写真だけだった。
 ヒーローインタビューを終えた勝利投手の横に写る指揮官の眼光は鋭く、既に次のことを考えているように見えた。試合では、情実を捨て勝負に徹する「勝てる監督」だった。


 勝利至上主義を掲げる一方で、周囲への気配りも忘れない人柄は魅力的だった。
 甥御さんが関学大のアメリカンフットボール部に所属していたこともあり、阪急担当を外れた後も、何かと気にかけてくださっていた。


 7月10日は、篠竹幹夫元日大監督の命日である。本格的な夏を前にした季節に、また一人大切な恩人が旅立った。ご冥福をお祈りします。(編集長・宍戸博昭)

【写真】上田利治氏のユニホームなどが飾られた祭壇=7月5日、横浜市青葉区