この春中学2年生になる長女・美羽さんが奏でるピアノの音色が、会場に悲しく響く。いきものがかりの「ありがとう」。44歳の若さで天に召された父親に、感謝の気持ちを込めて気丈に鍵盤をたたく姿が、参列者の涙を誘った。


 静岡県にある清水国際高校教諭で、同校アメリカンフットボール部監督の上松明(じょうまつ・あきら)さんが新年を迎えて間もない1月2日、44年の短い生涯を閉じた。
 通夜、告別式には学校、アメリカンフットボール関係者ら約1000人が参列し、故人の死を悼んだ。


 2013年5月22日、上松さんは医師から末期の肺がんであることを告知された。それから2年7カ月。入退院を繰り返しながら、アメリカンフットボール部「シャークス」を熱心に指導してきた。
 2014年シーズンは、チームを関東大会の準決勝まで導くなど、教え子から信頼され慕われた指導者だった。


 「私の人生は、本当に恵まれた人生だったと思う。すごく人に恵まれていたと思う」。病床でしたためた「上松先生からのメッセージ」の書き出しである。
 闘病中、母校日体大や他大学の同期の仲間が上松さんを何かとサポートしてきた。家族との思い出作りにと、海外旅行をプレゼントしたのもその一つだ。


 大学4年の1993年、上松さんは日体大の主力選手として甲子園ボウルに出場。高校時代に野球で果たせなかった「聖地」の土を踏んだ。
 3年までは試合に出場する機会すら与えられなかった自分の活躍を、後輩たちが喜んでくれたのが嬉しかったと上松さんは述懐している。


 「サッカーの町・清水」に、学生時代に打ち込んだ競技を根付かせるには、チームを強くするしかない。
 上松さんの指導は厳しかったが優しさにもあふれていた。志半ばで病魔に襲われた無念さは、察してあまりある。


 「俺の財産は人間関係を築けたことだから、ピンチの時は必ず応援してくれる」。メッセージは、愛する家族への思いで締めくくられている。
 静岡で生まれ、富士山を見て育った「上松先生」。出棺を見守ったのは、雲一つない青空に向かってそびえ立つ、うっすらと雪化粧した雄大な富士山だった。(編集長・宍戸博昭)

【写真】お通夜、告別式が営まれた会場には「上松先生」の写真が数多く展示されていた