久しぶりに会った彼の表情は、大きな仕事をやり遂げた満足感と自信にあふれていた。2011年8月にインドネシアへ渡り、12年10月に新会社を設立。現地の人たちと協同でIT関連事業を成功に導いた彼は、円満に会社を売却し3月下旬に帰国した。


 大学卒業後は大手広告代理店に就職。魅力的な上司もいて仕事も面白かったが、何か物足りなさを感じて6年で辞めた。
 飛び込んだのはインターネットの世界。入社した会社で広告事業を統括し、専務にまで上り詰めた。若い才能が集まった会社はその後、時代の“寵児”としてマスコミに頻繁に登場することになる。


 闘将・篠竹幹夫監督の下で主将を務めた1993年、日大フェニックスは低迷期にあった。春は関学大、京大、鹿島(現LIXIL)に3連敗。秋のシーズンは、キャプテンの権限で強引なチームの立て直しを図ったが、甲子園ボウルは遠かった。
 「今の自分だったら、もっとうまくチームをまとめられると思う」。社会に出ていろいろ経験することで学び、気がつくことは多い。人生とはそういうものだろう。


 ジャカルタから東京に戻り、今はつかの間の休息を楽しんでいる。独立し、さまざまな事業を手がけてきた彼が「ビジネスの仕上げの場所」として選んだのは、IT産業の集積地シリコンバレー。新しい刺激を求めて、4月中旬には愛する家族とともにサンフランシスコへ旅立つ。(編集長・宍戸博昭)

【写真】IT関連会社が集まるシリコンバレー(共同)