今年も我が母校、関西学院はライスボウルに勝てなかった。チームの戦力の差、と言ってしまえば話は簡単である。社会人チームと学生チームの差もある。
 でもその差がいかなるものなのか。答えを出してみろと言われると、私の知識の量ではどうしようもない。いきなり逃げを打つのは気が引けるが、八十の爺さまの手に余る。


 試合終了後、近くのレストランでOBの集まりがあった。毎年のことで、敗戦にもかかわらず、和気藹々。和やかに新年の挨拶を交わし、試合について語り合う、素晴らしい雰囲気を持った会合である。
 鳥内監督がコーチ陣の何人かと連れ立って参加し、西へ戻る新幹線の時間が来るまで談笑する。その中に勝負の機微と言える話が、いつも少しずつ入っているのが勉強になる。


 古いOBが新しいOBをつかまえて、もはや自分には分からなくなった現在のプレーのあれこれについて、質問を重ねている。ディスカッションがあちこちで起こるのも、私たちの会合の常で、これがまたユニークな意見が出て、楽しい。


 負けた試合の後でこうだ。もし勝っていれば、だれも口には出さないが、どんなに楽しかろうと思う。「また来年」。勝手にこんな言葉を交わす。その来年がどんな年になるのか。よく分かりあった人々の集まりであることに、なぜかうれしくなる。


 夏休みの宿題の定番として「読書感想文」というのがあるそうだ。「そうだ」と断定を避けるのはそうした宿題を出されていないからである。
 かつての国民学校5年生の夏に戦争が終わり、 6年の年は先生はデモに明け暮れ、私たちは自習が続いた。その夏休みの宿題はないに等しかった。


 こうした昔話はさて置いて、このような知識量しか持っていないOBにとって、ライスボウルは「試合感想文」しか書けないのである。今シーズン、これまで関学―立命のリーグ戦、関学―日大の甲子園ボウルで書いてきたように、OBとしての私には読書感想文ならぬ試合感想文が似合っているように思う。


 まず感じたままを言う。関学はよくやったと思う。社会人の年代の選手が、そこそこの練習を重ねて試合に臨んだとき、まず間違いなく社会人の方が力量は上である。
 五十数年前、卒業の前によくグラウンドで新チームの連中に「胸を出した」。楽しかった。一つには無責任だったせいもある。もう一つ、それまでとは全く違った、これまで体験したことのない感覚で練習試合に臨んでいる自分を発見したからでもある。


 当時は攻守の交代が不自由な時代だった。私はこの練習試合でセンターをやり、そのままLBをやった。特に守備だったが、相手がやろうとしていることが手に取るように分かることが不思議だった。同じプレーブックで学んできた仲間である。当然と言えば当然だが、その若い仲間がどんな狙いでプレーをコールしているかが、ほとんど苦労なく私には見えた。俺も同じだったという仲間がいた。


 余裕である。理屈抜きに「練習台」という気楽な立場から見ると、こんなにもプレーにゆとりができるのか、と驚いた。卒業後すぐ、上京したのでOBチームの一員としての体験はここまでだった。


 2年後転勤で関西へ戻ったときは練習なしでの試合にもよく駆り出された。見えているものは卒業時と同じだが、練習不足で体が動かぬのはどうしようもなかった。予測した相手のコースへ入り込み、してやったりと思った次の瞬間、低いブロックに打ち取られたことが何度あっただろう。
 ゆとりというのは練習あってこそのゆとりで、経験の差を上回る練習量の差があるのを思い知ったものである。


 実は米国にも社会人と学生の格差を物語る話がある。正体はプロと学生との話で、そのまま日本に引き写すのは難しいが、比較対象ぐらいはしてもいいかもしれない。
 シカゴ・オールスターと銘打たれた試合がそれで、シカゴ・トリビューン紙の肝いりで1934年に始まった。チャリティゲームでカレッジのオールスターチームを、NFLの前年優勝チームが迎え撃つというシーズン開幕を告げる試合だった。かなり人気のあった催しだった。


 戦争中も続けられ、このころはほぼ互角。しかし、次第にプロと学生の力の差があからさまになり始めた。プロの技量が上がっていったのだ。その結果、チャリティゲームとしても、だんだん立ち行かなくなっていった。
 1970年代にNFLのストで中断したころは、NFLが約30勝、カレッジ側が10勝ほどを記録した数字が残っていたが、雷雨で中止された年を最後に催しそのものが消滅した。20世紀前半、プロと学生にそれほど力の差はなかったのが、やがては広がる一方となった典型的な例である。


 タッチダウン誌でこうした話を書いてきた者として告白すれば、最近なぜかライスボウルの実情と「シカゴ・オールスター・ゲーム」とが重なってならない。
 かつては社会人の練習不足から学生側が互角以上に戦ってきた時代がある。しかし最近は社会人も練習できる環境に恵まれはじめた。


 でもこの話を結論にする気は一切ない。会場のあちこちで飛んでいた言葉、「また来年もあるさ」。その来年が必ずしも関学に笑顔を向けるとは限らないのを百も承知で、古参のOBが、自らを奮い立たせていた。
 鷺野主将が3年以下に声涙ともに下る話をしたことを、コーチ陣の誰かが教えてくれた。


 帰宅後、私は関学のブログを開けた。関学出身の元朝日の記者でチームに密着したリポートを長年書き続けている石井晃さんが、今年これまで書いてこられたリポートをあらためて読み返した。選手への愛情あふれる文章が私を和ませ、勇気づけてくれた。


 我田引水を承知で申し上げる。いい部である。試合から見えてくる反省点も多かった。疑問点も随分あった。しかし、そうしたところで発せられる激しい言葉が、相手の耳に届いたときには、激励になり、慰めになる。そんな仲間なのだ。


 ライスの勝利が何年先になるのか。いや1年先のことはともかく、また春になったら、上京してくる関学を見に行こう。西で苦闘する後輩諸君を励ましに行こう。そう思った。(関学大アメリカンフットボール部OB、元共同通信社記者・丹生恭治)

【写真】試合後、スタンドにあいさつする鷺野主将(28)ら関学大の選手たち=3日、東京ドーム