人生の中で一度でも日本一を達成したことがある人はどれだけいるだろうか。仕事でもスポーツでも日本一を目指して取り組む人は山ほどいるが、団体競技で最終的に栄光をつかむのは1チーム。日本選手権(ライスボウル)で、史上初の4連覇を目指すXリーグ王者オービックの「守護神」、ディフェンスバック(DB)三宅剛司は、30歳で通算9度の日本一を経験している守備のキーマンだ。


 ▽浪速の韋駄天
 大阪市に生まれた三宅はとにかく足の速い少年だった。リレーのアンカーとして4人抜きで優勝。小学校1年の時に6年生と勝負して圧勝するなど、快足にまつわるエピソードは数知れない。小学校から始めたサッカーではセンターバックとして活躍し、高校ではJリーグ・ガンバ大阪のユースチームに入るために、入団テストを受けた。だが、結果は不合格。「まるでレベルが違った」とふり返る通り、当時のチームには元日本代表の稲本潤一らトップ選手が在籍しており、チームに入ることすら容易ではなかった。


 ▽勝ち続けた7年間
 進学した大産大付高の部活動でサッカーを続けるか悩んでいた時、強豪のアメリカンフットボール部の存在が気になった。当時の大産大付高は、一学年上にQB高田鉄男(現パナソニック)、WR木下典明(現オービック)ら後の立命大の黄金期を支えるメンバーがそろっており、高校フットボール界でも群を抜いた存在になりつつあった。「ここで日本一を目指そう」との決意で入部すると、2年時にRBからDBに転向して開花した。そして、3年連続で高校日本一という快挙を達成する。
 「ランプレーでタックルした記憶がほとんどない」。三宅を含む大産大付高の主力メンバーの力は、立命大へとステージが変わっても圧倒的だった。当時の記録を見ると、立命大と対戦したチームのラン獲得ヤードが、試合を通してマイナスになることすらあったようだ。最後列に位置する三宅が、ボールキャリアをタックルする必要がないのもうなずける。


 ▽ハードタックラー
 学生時代に頂点を極めたことで、半ば燃え尽きかけていた三宅を再び奮い立たせたのが、2007年に川崎で開催された世界選手権だった。順当に決勝へと進出した日本は、米国に延長戦の末敗れて大会3連覇を逃す。「アメリカは強かった。本国にはもっとすごい選手がたくさんいると思うとわくわくした」。勤めていた銀行を退社すると、米国のアリーナフットボールに挑戦した。
 182センチ、78キロの細身の体は、学生時代からほとんど変わっていない。家族全員やせていて、体重が増えにくい体質だという。「日本代表としてこのフィジカルは恥ずかしい」と三宅は謙遜するが、体形からは想像もできないようなハードなタックルは、米国挑戦時に得た自信と経験に裏打ちされている。


 ▽1プレーの重み
 09年秋季リーグのオール三菱戦。オービックは僅差で勝利したが、格下の相手にミスが出て苦戦を強いられた。
 試合後、クラブハウスを訪れた主将の古庄直樹は、夜遅くまで自分のミスしたプレーを繰り返しチェックする三宅の姿を目撃する。「日本代表レベルであそこまでする選手はなかなかいない。彼は本物の負けず嫌いだと思う」。この時のことについて三宅に問うと、こう答えた。「もっと競った試合だったら、自分がミスした1プレーで負けていた。後悔しないためにやるべきことをやっただけ」
 1チームの攻撃回数は、1試合平均で約60プレー。その一つ一つの場面でどれだけ集中してプレーしているかが、彼と話せば話すほど伝わってくる。


 ▽もっとうまくなれる
 DBとしてほとんど完成されたプレーヤーに見えるが、三宅はこれを否定する。「フィジカル面はもちろん、技術面でも向上できる部分はたくさんある」。三宅をはじめオービックのDB陣の意識が高い理由の一つが、DBコーチ兼任の渡辺雄一の存在だ。今年でチーム最年長の40歳になる渡辺が、いまだに上を目指してストイックに取り組んでいる姿勢を見て、他の選手がやらないわけにはいかないのだ。
 「とにかく負けることが嫌い。後悔したくない」。高校3連覇、社会人3連覇を含めて、フットボール人生で勝ち続けてきた三宅が言うからこそ重みのある言葉だ。負けることの怖さ、悔しさを誰よりも知っているからこそ、勝利に対してどん欲になれる。
 16日に東京ドームで行われる「日本社会人選手権」の相手は、春の試合で敗れ公式戦の連勝を37で止められた富士通。最高の舞台でリベンジを果たせば、それは三宅にとって10度目の日本一となる。(共同通信社 松元竜太郎)

【写真】オービック守備の中心選手として活躍するDB三宅剛司=撮影:Yosei Kozano