2000年、我々「デイトナビーチ・バラクダース」は、全勝でプレーオフへと駒を進めた。その年は、10月開幕、クリスマスを挟んでのプレーオフ、そしてチャンピオンシップ戦というスケジュールだった。
 向かうところ敵なしだった私たちは、レギュラーシーズン中盤位から、既にチャンピオンシップには100%進めるものだという空気がチーム全体に流れていた。


 プレーオフの初戦、タンパのチームを相手に大勝。タンパチーム在籍の元オリンピック中距離選手だったナンバーワンランニングバックが移籍してきて、ますます向かうところ敵なしの気分になっていた。
 そして続くプレーオフ第2戦、これに勝利すればチャンピオンシップに進める。そんな大事な試合を前に、クリスマスバケーションを言い渡され、1週間の休みになった。


 選手たちは、故郷から暖かいフロリダに家族を呼び寄せたり、故郷に帰ったりして、当然のごとく家族と一緒にクリスマスバケーションを過ごした。
 私は、日本行きのチケットの高額さにため息をついていると、ルームメート達が、「一緒に、うちの実家においでよ。ベティ一人ここに残して、私たち帰るなんてできない。私たちは家族じゃない!」と誘ってくれたので、結局は、ステファニーについてロサンゼルスに行き、朝から飲んで食べてばかりの数日を送った。


 バケーション明け、たった1週間だったのに、一目見て太ったと思われる選手もいて、完全に走り込みのスピードも落ち、持久力も落ちていた。
 けれど、私たちはこの時点でもまだ勝てると思っていて、その日の新聞の見出しは、「言葉の壁は、バラクーダスのスターターセンターのベティを止めることはできない」だった。
 しかし、クリスマスバケーションが、バラクーダスの動きを止めた。26―29小差で敗退。チームは予想していなかった結果に、試合後のミーティングもなく、流れ解散となった。


 私たちは、ぼう然として家に帰り、翌朝今後のスケジュールを電話で確認した。当然のごとくその後の練習は全てキャンセル。しかし、みんなチャンピオンシップ後のフライトを取っていたので、私たちは、予定のない日々を過ごすことになった。


 朝から、リーグ採用の選手たち全員が我が家にやってきて、何も食べずにひたすら飲んだ。誰かが口を開くと「なんで私たち負けたんだろう」。それだけだった。
 飲み会は一日続き、深夜解散する段になって、誰かが「明日はキャプテンの家に12時に集合」と言い、翌日も同じメンバーがキャプテン宅で飲んだ。


 その翌日は夕方集合で、他の選手の家で空腹になると、ピザを宅配してもらうか、ファストフード屋に行きハンバーガーを食べた。
 チームからは、QBとCBのジョイとキッカーと私の4人は、チャンピオンシップに出場するチームに移籍させてあげると言われていたが、移籍直前、リーグのルールが変わって、シーズン中の移籍ができなくなり、酒浸りの日々を過ごした。私の人生の中で、一番空虚な一週間だった。

【写真】ベティさんとチームメート