2000年のアメリカプロリーグ初年度のゲームには、たくさんの思い出がある。
 対戦相手は、初戦と同じマイアミ。私たちがアウェーで遅刻した試合の再戦がホームで行なわれた。


 私の前に付いたノーズガードの選手は、身長180センチ以上、体重140キロの黒人選手。初戦も反則がひどかったけれど、何戦か試合を積んで、彼女の反則技は更に磨かれていた。首は絞められるわ、背負い投げはされるわ、ローキックは受けるわ…。
 でも、あちこちで反則が行なわれていて、全部取っていたら、試合にならないと思ったのか、審判は、10回に一回しかイエローフラッグを投げてはくれなかった。


 前半最後のプレー終了の笛が鳴ったと同時に、ノーズガードが得意のプロレスまがいの反則。目つぶしをするかのごとく、2本指を立てて私の喉を思いきり突いた。倒れた私をさらに彼女は蹴飛ばした。
 それを見ていたヘッドコーチは激怒し、審判の胸ぐらをつかまんばかりに抗議した。私の首のアザを見せて「これでも反則行為が行なわれていなかったというのか?」と詰め寄った。


 しかし、審判はこれを認めず、我がヘッドコーチに向かってイエローフラッグを投げた。私はこの一撃で、声が出なくなって、後半はガードの選手が、ハドルをかけた。
 その後も続く彼女の反則攻撃に、ヘッドコーチは、審判にキレまくり、そのたびに反則を取られ、結局合計105ヤード罰退。さらに、ヘッドコーチも怒鳴り過ぎで声が出なくなり、加えて1週間の謹慎処分を受けて、地元新聞に写真付きで掲載された。


 われわれのホームゲームは、毎試合ラジオ放送された。実況はずっと同じ人で、練習も良く見に来ていて、選手のことも良く知っていた。
 ホームゲーム最終戦の後は、観客席で打ち上げが行なわれた。チームスポンサーであるバドワイザーや、クリスピークリーム、地元のイタリアンレストランのスタッフが商品を持って来てくれて、飲んで食べてプレーオフ進出を決めた選手たちを慰労した。


 一度も口を聞いたことがなかった実況の人が私に「ヘイ、HIROKI! 今シーズン見て、僕はすっかり君のファンになったよ」としゃべりかけてきた。「はい、今なんと?」。「みんなは君をベティって呼んでいるけど、僕は君の本名のHIROKIってずっと呼んでいたよ」「なんで?」「実は、僕の友達の日本人で同じ名前がいるんだよ。僕の発音いいだろ? HIROKI!」
 「あなたのお友達は男性だよね? HIROKIは男性の名前、私はHIROKOなのよ」。彼は、1シーズンずっと、私をHIROKIと呼んでいたらしい。今でもそうだけど、「HIROKO」と正しいスペルで書かれる方が希である。だったら、無理せず「BETTY」でいいんだけどな。


 レギュラーシーズンが終わると同時に、エクイップメントスタッフ(主に防具を管理する担当)が消えた。彼は、購入した防具の代金を、チームには支払ったと報告したが、全く払っていなかった。
 チームはそれを支払わなくてはならなくなったので、プレーオフ以降、一切給料は支払うことはできない、と発表された。突然そんなこと言われても…である。みんな不満を口にしたが、さすがに辞めると言い出す選手はいなかった。


 オフェンスラインコーチに呼ばれ、「ベティはどうする?」と聞かれた。「私は就労ビザを持っていないから、元々お金はもらえないんで、全然関係ない」と言うと、「そうか、じゃあ僕も続けるしかないかなあ」と言った。そして「日本の試合はギャラもらえるの?」と聞いてきた。
 私はこの年、試合がなかった1週間を利用して、日本に帰国し1試合をこなし、とんぼ帰りをした。今だったら契約を考えても、体力を考えても絶対にあり得ない。
 ほんと、アメリカンフットボールが大好きじゃなくてはやっていけない環境の1年目だった。

【写真】2000年当時のベティさん