先ほど、チャンピオンシップが行なわれたシカゴから自宅のあるロサンゼルスに帰ってきた。トロフィーをカリフォルニアに持ち帰ることはできなかった。
 今まで負けた試合は「悔しい」の一言だったが、今回の試合に関しては、不完全燃焼と言った方がいいかもしれない。考えることもいろいろある。


 今季の私は、ずっとけががちだった。どこかを故障すると意外と続くもので、「ま、こんな年もあるさ」と思っていたし、強豪チームだったので「レギュラーシーズンはプレシーズン、プレーオフからが本番だ」とヘッドコーチからもずっと言われていた。
 幸いプレーオフからは調子も上がり、記録も残せていた。しかし、このチャンピオンシップで、コーチはディフェンスのやり方を全く変えてしまった。


 私のポジション、DEに関して書くと、元々は、オフェンスタックルの前について、Bギャップをシュートしろというものだった。99%Bギャップに突っ込むので、正直きつかったけど、スピードでかわし、なんとしてもスクリメージを割り込むことを常に狙っていた。
 けれども、このチャンピオンシップに関しては、「とにかく3人のラインで、オフェンスタックルからオフェンスタックルまでの穴を潰せ。Dラインはタックルに行く必要はない」と言われた。


 2年前までいたクエイクのディフェンスは同じスタイルだったので「了解!」って感じだったけど、果たしてチームが急にできるのかなあという不安もあった。
 私はクエイクではNGで、私の後ろのインサイドラインバッカーはタンクという選手だった。彼女とは、4年間同じチームでやってきたし、シーズン中ずっと同じディフェンススタイル、ずっと一緒のコンビでやってきているので、息もぴったりだった。
 彼女が一年を通してのリーグ最優秀ディフェンス賞を取った時も「ベティのお陰」と言ってくれて、一緒にピンクウォッカをショットした。私たちはアルコールの趣味まで息が合っていた。


 8月2日、チャンピオンシップは、相手チーム「ボストン・ミリッシャ」のキックオフで始まった。我が「サンディエゴ・サージ」はじりじりと攻められながらも踏ん張り、ボストンは29ヤードのFGを外し、サージに攻撃権が移った。
 しかし、サージは、攻めきれずにパント。パントはレギュラーシーズン8試合で、たった4回しか行なっていない。


 次のボストンのシリーズ、QBキープで、簡単に最初のタッチダウンを奪われた。続くサージのオフェンスは、ファンブルで相手に攻撃権を奪われ、ランフェイクの49ヤードパス。タックルミスもあり、ボストン2本目のTD。
 次のキックオフリータンでもサージはファンブル。「なんかうまく回ってないなあ」と思い始めた時、我がQBガイゴーのロングパスがきれいに決まり、この日初のレッドゾーンに攻め入った。
 しかし、レッドゾーンではガイゴーのパスが全く精彩を欠き、結局最後はごり押しのランでやっと1TDを返し21―7。「これからだ!」とチームオーナーと手を握り合った。


 ディフェンスコーチに「アウトサイドのプレーの時は、ボストンのタックルが広く付いて、Bギャップが思いっきり開くので、そこを割ってタックルに行ってもいいか」と聞いたのに、「タックルに当たって、押し込め」と言われた。それが災いしたのか、その後何プレーか外された。
 サイドラインにいると呼ばれ「次のシリーズでは、DEは3ヤードインチャージして、センターに突っ込め」と言われた。


 「はい? 今出ているのはオープンのプレーで、私は、穴を潰しているから、外に逃げているわけで、私はラインバッカーが何しているか、全くわからない」「ミドルランが出たあのQBキープは、ミドルラインバッカーのブリッツサインが入っていたのに、その穴には誰もいなかった。今ボストンのプレーが出ているのは、オープンが止まらないのと、バック陣のタックルミスが原因だ。私にBギャップを守らせないで、Cに行かせてよ」と言ったら、完全に試合から外された。


 その後、守りの要NGのタニヤがけがで退場した。もう勝てるとは思えなかった。前半終わって14―49。結局34―69で2014年の最終戦は終了した。レギュラーシーズンの合計失点は18点だったサージは、守備が崩壊して完敗した。


 今まで私は、誘ってくれるチームのヘッドコーチと話し合い、納得のいくプレースタイルのチームと契約してきた。違う言い方をすれば、プレーブックも私に合わせて作られていた部分もあった。
 今季は、チームの方針が決まった後、所属しようとしていたチームが消滅しそうになり、慌てての移籍。私たちロサンゼルス組は当初チーム構想に入っていなかったので、外様扱いをされている雰囲気は常に感じていた。


 活躍していたタニヤも、オフェンラインコーチとぶつかってNGへコンバート。攻守両面やる彼女だったが、ディフェンスのスターターは初めてだった。去年のオールスターRBティファニーも、11年ランニングバックしかプレーしたことがなかったのに、ディフェンスにコンバートされた。
 同じRBだったキムは、オフェンスラインにコンバートされた。「ALL IN」がチームの合言葉だったけれど、120クルー(ロサンゼルスからの通い組)の方が絆は深かった。
 不満がありながらもみんなが頑張ってきたのは「勝ちたい」という思いと、選手の立場に立ってとても良くしてくれるオーナーのためだった。そして誰も途中で辞めなかったのは、チームがずっと勝ち続けていたからだった。


 2000年、女子プロリーグ発足当初、レギュラーシーズンは10試合だった。しかし、プレーオフの頃には、かなりの選手がけがをしてしまい、結局、けが人が少ない方が勝つという状況に陥ったため、徐々にどのリーグもレギュラーシーズンは8試合となっていった。
 しかし今度はチーム数が増え、プレーオフの試合が増えて、最高で13試合を戦わないと、チャンピオンになれない。今、うちの選手たちが普通の病院に行ったら、私を含め、半数以上がドクターストップの状況だと思う。まさに満身創痍である。


 シーズンが終わった途端、「来年は?」とあちこちから質問を受けるけれど、リーグ運営、女子スポーツ、女子アスリート…。この辺りが私の中でいろいろとネックとなり、一選手ではいられない状況を作っている気がする。今、ひとつ考えていることがあり、オフ中にそれを具体化させようと思っている。


 今季の私の動向は、8月9日(土)夜10時30分からテレビ東京系で放送される「クロスロード」をご覧ください。30分のドキュメンタリー番組です。

【写真】準優勝で今シーズンを終えたベティさん