アメリカプロリーグ開幕の初年度。私たちに足りなかったのは、「自信」だったが、最初に波に乗ったことでこれも克服し、私たちは常に大差をつけて連勝街道を突っ走った。私も無事? ロングスナッパーを外されたことで、自信と経験をつけて、センターとしてリーダーシップも発揮していった。


 デイトナビーチは、自動車レースの「デイトナ500」以外に何もないところで、他には、近所の大学生がプチリゾートに来る街と言われていた。
 「明日はいつもより1時間早く家を出て練習に行くから」とルームメートに言われ、練習フィールドに向かおうとしたが、街中がなぜかハーレーであふれ、普段20分の道のりに、4時間近くかかった記憶がある。


 他にイベントと言えば、近くにあるケネディセンターから人工衛星が打ち上がることぐらい。最初は、この施設の存在さえ知らず、練習中にいきなり海の方が明るくなったなあと思ってぼんやり見ていると、どんどんどんどん明るさが増し、昼間と同じくらい明るくなった。
 何も知らない私は、この世の終わりか、爆弾が落とされたのかと思い慌てていたら、周りの選手が身振り手振りで説明、それも理解できない私にオーナーが更に説明して、私のパニックが収まるのを待って、練習が再開された、なんてこともあった。


 土曜日の試合を中心に、自然と私たちのスケジュールが組まれていった。
 試合前の金曜日は、カーボを食べながらのリラックスデー。土曜日の試合の後は、チームが契約しているバーで「第5クオーター」と称しての打ち上げ。そしてバーが閉まった午前2時には、誰か選手の家へと集まる。コーチ陣、ファンを交えない選手だけの打ち上げ。


 日曜日は、みんな昼ごろに起きて来て、赤い肉を食べにいく。激しくヒットした次の日は、みんな血のしたたる肉が食べたくなるのだ。
 そして夜からまたオーランドへと繰り出す。一人ワゴンに乗っている選手がいて、彼女の5人乗りの車に隠れて10人ほどが乗りこみ、1時間かけてオーランドへ行く。
 運転は順番、10人乗っていれば、運転の順番が回って来るのは、10週に一度、運転担当の日だけはバーで、ソーダで時間を潰さなきゃいけないけれど、他の9週で快適に飲むためには、いたしかたない。


 そして月曜日から練習が始まる。私たちのこの行動を知ってか、月曜日は走り込みが多めの練習と試合の反省や確認。火曜日に次の試合に向けての練習が始まって、水曜日は、映画かボーリング、ゴルフに行き、そしてオハナ(家族)ディナー。カードゲームなんかもよくやった。木曜日は試合前最後の練習で、スタメンが発表される。


 日本では仕事もして、チーム運営もして、アメフトもして、といった生活だったのに、アメリカに来てからは、アメフト中心の生活、練習はつらい時もあったし、試合後は動けないくらいの時もあった。でもアメフト好きばかりの中での、アメフト中心の生活は、ストレスゼロ。本当に毎日が楽しかった。


 私のコミュニケーションツールは、フットボールとアルコールで、残念ながら英語ではなかった。最初、みんなが話しているのが、英語なのかどうかもわからなかったが、周りの人から「3カ月すると自然と聞き取れて来るよ」と言われた。
 「それはないな」と思っていたが、2カ月過ぎた頃から、なぜか突如聞き取れるようになり、聞き取れると、わからない単語がどれだかわかるので、それを聞き返すか、辞書を引けば何を言っているかわかる、というレベルになった。


 「英語ができなくて苦労したでしょ?」とよく言われるが、苦労したのは私を担当したコーチと、私の面倒を見なくちゃいけないルームメート達で、私が苦労したと感じたことは全くなかった。順風満帆な日々を過ごしていた。

【写真】ベティさんとチームメート