開幕に向かってチームも地元メディアも日ごとに盛り上がっていき、地元新聞はカラーで2ページを割いて私の所属する「ディトナビーチ・バラクーダス」を取り上げた。私も注目選手の一人として、あちこちからお呼びがかかった。
 活躍するであろうランニングバックには、クリスピードーナッツのスポンサーがつき、コーチ陣にも不動産会社のスポンサーがついて、試合用ユニホームが支給された。


 日本だと、チェーン店にスポンサーをお願いすると「親会社に聞いてみないと…」といった回答が多いが、アメリカでは、ある程度は支店の判断で決められるらしく、小さなスポンサーが徐々についていった。
 右も左もわからなかった私も、次第に自信がついて、ホワイトボードがあれば、オフェンスラインをまとめられるほどになっていた。


 唯一の不安は、「最初からできない!」としり込みしているロングスナップで、何度練習してもできるような兆しは見られず、常に「誰か変わってくれ~」的なオーラを出しながら練習していた。
 そのオーラを察してか、私のスナップの練習が始まると、スターターをまだ取れていない選手たちが、私の隣で同じ練習を始めた。コーチに言われていないのに、コーチが見てもいないのに、ちょっとのチャンスでもゲットしようとしている選手たちを見て、アメリカ人の積極性とどん欲さに驚いた。


 開幕を目前にした最後の練習。「全員サイドラインに並べ。これから各ポジションコーチがスターターの名前を読み上げるので、名前を呼ばれた選手のみ、フィールドに入れ」と言われた。
 続いて、各コーディネーターから補欠の選手の名前も読み上げられ、キャンプ当初75人いた選手は45人に絞られた。そして「今、呼ばれなかった選手は、遠征には同行できない」と発表された。
 今では当たり前で何も感じないが、この時は「これがプロの世界か」とシビアさに自分のいる世界がちょっと怖くなった。


 遠征当日、時間に余裕を持たせ、大型バスでマイアミに出発した。通常4時間の道のり、事故渋滞で8時間以上かかり、われわれがゲームフィールドに到着したのは、試合開始45分前だった。
 別入りしていたキッカーとここで久しぶりに会った。彼女は、男子のセミプロリーグのキッカーをいくつか掛け持ちしていて、われわれの練習には数回しか来ていなかった。


 普段はピザの配達のバイトをしているという。「顔がわかる選手がベティくらいしかいなくて」と苦笑しながら、スナッパーの私の隣に座った。年季の入ったコットンの袋の中から、いくつものティーに話しかけ、今日使うティーを入念に選びだした。
 彼女曰く、ティーの削れ方が若干違って、調子によって使い分けているという。ティーが「自分を選んでくれ」って言うのだそうだ。


 ウォームアップもそこそこに、キックオフ! 他の試合より開始時間の早かった私たちのゲームが、記念すべき女子プロリーグの初試合となった。

【写真】地元の新聞に大きく取り上げられたベティさんら「ディトナビーチ・バラクーダス」の選手たち=2000年