真っ暗な中を、灯りの漏れるロッカールームの扉まで全速力で走り、その扉を開けると、リーグオーナー、関係者がそろっていて、笑顔で「ウエルカム!」と歓迎してくれた。昼間からずっとイメージしていた空間がそこに存在していた。まずはホッとした。
 けれど今からが始まりだ。まずは私が英語ができないことを伝えなきゃいけない。用意していたとおりの自己紹介をして、オーナーと思われる人に握手した。オーナーは分かったのか分からないのか不明だが、うなずきながら、ずっとニコニコして聞いていて、「何も問題ないよ」と言ってくれた。


 言いたいことがいっぱいで、更に質問だらけだったけど、開始の時間が迫っていたので、さっさとレジストを済ませ、フィールドに出た。すぐにトレーナーの合図でウォームアップが始まった。
 ウォームアップは、日本でやっていたこととさして変わらず、なんかイケるような気に満ちていた。後で聞いた話では、他の地区はどこも100人以上が来ていたのだが、アトランタは雪で交通機関が麻痺状態だったので、この時は30人程度だった。
 まずは身長、体重測定。アメリカに来る機内で計算した数値は全く違っていたらしく、プロフィール用紙を見て、みんなに大笑いされた。


 続く種目は、ウェブサイトに載っていた通り40ヤード走、Tテスト、シャトル、垂直飛び、30キロのベンチプレスなどが行なわれた。ライバルは100キロ以上の選手なので、ライン希望の中で、私はずば抜けていた。
 この時、ちょうど親指を骨折していてベンチプレスができなかった。当時、30キロのベンチなんて、一度もあがらなかったので、ほんとにラッキーな骨折だった。100回以上バーベルをあげる選手に、他の選手は興奮して応援していた。


 その後は、フットボールの基本テストが行なわれた。ポジション分けすると、半分以上がクオーターバック希望。明らかにラインと思われるガタイの人までもが、花形ポジションのトライアウトに挑んだので、172センチ、60キロの私が、ラインの列に並んでいても、とがめる人は誰もいなかった。


 全ての種目がさくさく終わり、オーナー、コーチ陣の話が始まった。私はここで合否が発表されるとばかり思っていたら、1か月後にメールで発表だと言う。「エー、そんな。フィールドのライトが消され、みんなが去る中、私はオーナーをつかまえて、日本での試合ビデオを見せた。オーナーがライン担当コーチを呼ぶ。「彼女は上手だったけど、この体格だからねえ」ってなことを言っている模様。真剣にいろいろと話している。


 オーナーが「君はこれだよね。だとすると隣のこの選手は一体何ポンドぐらいあるんだ?」「50キロくらい」って言いたかったけど、ポンドの計算ができないので、黙っていると、向こうも気付いた様子で、爆笑された。
 ともあれ、私の対戦相手が小さすぎて、「その中で活躍しててもねえ…」ってことらしい。でも、アメリカに来るには準備もいるだろうから、早めに結果を知らせないといけないしという意見も出る中、一人のコーチが提案した。「明日の試合に出てもらってはどうか?」「何それ!」。耳がダンボになる私。どうやらスーパーボウルの関連イベントのひとつNFLエクスペリエンスの中で、女子アメフトPRのために、エキジビションマッチを行なうらしい。


 雪の影響で、まだ来ていない選手が何人かいて、ラインが足りないかもしれないのだとか。めちゃくちゃ出たそうな顔を作りながら、祈った。オーナーから「ショルダーは持ってる?」と聞かれた。こんな時にそんな質問されたら、明日買ってでも「持ってる」って言うわ! 誰からも反対意見は出なかった。日本のアメフト事情を知らなすぎて、反対する材料もなかったのだ。


 そんなこんなで、すんなりと翌日の試合出場が決まり、私は、ミネソタ・ビクセンの一員となり、ヘッドコーチであるチャンピオンリングをはめた元NFL選手に預けられた。
 彼は、プレーブックをくれて、ヘルメットのフィッティングから何から何まで世話をしてくれ、最後は、ビクセンのチームメートがホテルまで送ってくれた。
 そして、「このホテルは遠いから明日は私たちと同じホテルに泊まったらいい。どっかの部屋に潜り込めるから」と言って、ホテルをチェックアウトして、自分がまた迎えに来るのをロビーで待つようにと言ってくれた。


 時差ぼけなのか、興奮からなのか、その晩は全く寝付けなかった。初めて見る英語のプレーブックを、一晩中眺めていた。

【写真】初めて一人暮らしをした当時のベティさん