アメリカに女子プロリーグができたと聞き、友人から後押しされ、とりあえずはトライアウトだけにでも行ってみようかと思い始めた2000年当時は、ちょうどインターネットが普及し始めた頃だった。
 それを駆使してアメリカ女子プロリーグの情報を集めた。リーグの情報は乏しく、トライアウトの情報だけしか得ることができなかった。質問はいっぱいあったけど、連絡先にメールしても全く返信もない。時間がないし、仕方ないので、とりあえずトライアウト会場に行ってみることにした。


 日本の場合、チームを作って、ある程度チーム数が増えてきたらリーグを作るというやり方が普通だが、全米で展開させる場合、まずリーグを作り、マーケティングして、良さそうな地域をピックアップする。
 そしてその地でオーナーを募集して、チームを作るというのがポピュラーなやり方だ。その「リーグを作る人達」は、数年間リーグ運営に関わり、リーグが大きくなってきたら、そのリーグを売るということを商売にしていた。


 我々の女子プロリーグも例外ではなかった。アリーナフットボールリーグを作ったグループがこの女子リーグを立ち上げた。アリーナと同様、ミネソタから女子プロリーグの歴史は始まる。


 1999年、女子プロリーグは、ミネソタとミシガンの2チームだけだった。この2チームで全米を回り、エキシビションゲームをしながら、翌年のリーグ戦開幕に向け、普及販促活動を行なっていた。
 この時のミネソタ・ビクセンのオーナーは、元NFLプレーヤーで、「ノーリミッツツアー」と呼ばれた全米6都市を巡るエキシビションマッチツアーの初戦は、ミネソタ・バイキングズのホームフィールドで華々しく行なわれた。
 ミネソタ・ビクセンは、オーナーは代わったが、今も存在しており、女子プロリーグで一番長い歴史を持つチームである。


 私が、ネット検索でトライアウト情報にたどり着いた時には、全米各地で行なわれていたトライアウトは、残るところあと一つになっていた。
 2000年1月末、そうスーパーボウルの1週間前のアトランタでのトライアウトが、残る最後のトライアウトだった。そのラストトライアウトは、私が見た深夜番組から5日後だった。


 迷っている暇はない。急いで会社に休暇願を出し、アトランタ行きの航空券を購入した。航空券の手配は簡単だったが、ホテルには苦戦した。「スーパーボウルウィーク」で、どこも満室だったので、かなり郊外のホテルを取った。
 家にある自分の資料とチームの試合ビデオを持って飛行機に飛び乗り、機内で自分のプロフィルを作った。身長をフィートに換算するのがめちゃくちゃ難しかったが、この時はかなりのやる気で機内では一睡もできなかった。


 みなぎるやる気は、12時間のフライトで希望となって膨らみ、アトランタ空港に到着。スポーツインストラクターだった私は、スキューバダイビングの添乗などでお客さんを連れて海外に行っていたこともあり、余裕で、入国審査に臨んだ。


 「目的は?」「観光です」、「何を見に来たの?」「え…」。不覚、アトランタの観光地まで調べていなかった。仕方ないので、「スーパーボウル」というと「チケットは持っているのか?」と聞かれ、即別室送りになった。


 「通訳をつけたいか?」と聞かれ、もちろん「YES」。15年たっても忘れもしない、「YORIKOさん」という名の、日本語が得意ではない韓国人が私の通訳となった。
 それにより、私は、担当オフィサーがしゃべる英語も分からないし、「YORIKOさん」がしゃべる日本語も分からない状況に陥った。「通訳を代えてほしい」という要求にも、担当オフィサーは、彼女は日本人だと言い張った。


 自暴自棄になり、「実はトライアウトを受けにきた」と告白した。3カ月以内ならビザなしで滞在して良いと思っている人も多いと思うが、観光目的なら構わない。しかし、他の目的がある場合、たとえ3日間の滞在であっても目的のビザを取らなくてはならない。
 つまりトライアウトの場合は、厳密にはビザをとる必要があるとの解釈が成り立つ。私が「目的はトライアウト」と言うことは、かなりの「ギャンブル」だった。


 でも、自分の今置かれた状況から察するに、このままだったら間違いなく強制送還になりそうだったので、「どうにでもなれ!」と本当の理由を言った。
 すると苦虫をかみつぶしたような顔をしていたオフィサーの顔が一瞬ほころび、そして鼻で笑いながら、「嘘をつくんじゃない、女子のリーグなんて聞いたことないし、そんな小さな君がやるというのか?」と言った後、自分がどれだけアメフトファンかを話し始めた。


 「これが証拠!」と見せた機内で作った自分の写真付きプロフィルと、トライアウトの案内は、水戸黄門の「印篭」の役目を果たした。
 「どこのポジション?」のオフィサーの質問に、YORIKOさんが「アナタハドコニスンデマスカ?」と訳したのを制し、私は「センター!」と即答した。
 「グッドラック」の言葉とウィンクを受け取り、私はアメフト好きのオフィサーによって、幸運にも無事入国することができたのだった。

【写真】大阪の女子チーム「ワイルドキャッツ」の練習に参加した時のベティさん(79)