試合中は、ボールの位置に合わせてサイドラインを精力的に動き回る。身ぶり手ぶりを交えて、誰よりも大きな声でフィールドの選手に指示を出す。
 横浜国大でコーチを務める石原一幸さん(51)は、チームを指導して21年目。普段は、日本航空の国際線の機長として、世界中を飛び回っている。


 奈良県屈指の進学校・東大寺学園高から現役で京大工学部に入学した。
 大学では、高校時代にやっていた野球を続けるつもりだったが「東大と一緒で、野球部はなかなか勝てない。そこで、熱心に誘ってくれたアメリカンフットボール部に入ることにした」という。


 「ギャングスターズ」の一員になり1986、87年にRBとして2年連続で甲子園ボウルと日本選手権(ライスボウル)で勝ち日本一を経験した。
 「甲子園球場は憧れだったので、甲子園ボウルに出られて嬉しかった。高校野球の選手のように、記念にグラウンドの土を持って帰った」と懐かしそうに話す。


 4回生の88年は甲子園ボウル出場を逃した石原さんは、京大での4年間をこう振り返る。
 「当時のチームには、ハングリーな人たちが多かった。国立大学なので、アスリートを集めることはできないが、訓練することで強くなれることを学んだ。甲子園ボウルで、日大のような強豪に勝てたのは、京大らしい『フロンティア精神』を追求した結果だと思う」


 大学院まで進み、情報工学の勉強をしたが、25歳で全く畑違いのパイロットを目指し採用される。
 訓練で2年間滞在した米国で、横浜国大フットボール部OBの先輩パイロットと出会う。同期入社にも横浜国大出身のパイロットがいたのが、帰国後コーチを引き受けるきっかけになった。


 ギャングスターズでは、当時の水野彌一監督から薫陶を受けた。指導者としての原点はそこにある。
 「水野さんとの4年間は貴重な経験だった。今学生に教えている内容も、水野さんの受け売りのようなところが多分にある」


 コーチに就任したのは、20年前の1997年。当時は、今で言う3部リーグまで落ちていたチームの立て直しに着手する。
 京大時代の経験をまとめた30ページほどの文書を学生に配り、啓蒙活動が始まった。


 配布した文書の中に、こういう一節がある。
 「教える側にとって『やらせる』必要がないタイプの人間がいる。それは必要なことに自覚を持って自ら取り組む姿勢を示し、その結果を客観的に捉えて自己分析できる人間」 
 「逆に『やらされる』人間とは、指導する側にとって『もうこれ以上我慢できない、これ以上放っておいたら駄目だ』と思われるまで、必要なことに取り組まない人間であったり、甘い自己分析で『もうこれで満足だ、これ以上はできない』と、勝手に限界を作って成長を止めてしまう人間である」


 コーチとして迎えた8年目の2004年秋のリーグ戦。1部に上がった横浜国大は、初戦で伝統校の法大を破る大金星を挙げた。
 「数年前に100点以上取られて負けた法政に勝てた時は、何とも言えない達成感があった」。ちなみに法大はその年、甲子園ボウルに出場している。


 「コーチに大切なのは熱い思いと思いやり。これがないと、人は動かない」が信条だ。
 不規則な勤務のパイロットは、週末が必ずしも休日ではない。シーズン中は試合のために有給休暇を取って備えている。


 横浜国大の指導に情熱を傾ける決心をさせたのは、夫人のひと言だった。20年前。長女が生まれたときである。
 「あなたが生まれてすぐの子どもと妻の私を置いてグラウンドに行くのは、人に頼まれて仕方ないからなの? それとも、自分がチームを強くしたいからなの?」―。


 その言葉に「本気で取り組まないと、妻と子どもそして学生にも申し訳ない。自分自身が、このチームを強くしたいのだと気付かされた」という。


 現在、夫人は実家のある大阪に帰り、長女は父親と同じ京大に進学。横浜で〝単身赴任状態〟だが「忙しくても、フットボールがあると頑張ろうと思える。自分を忙しくしている自分が嫌いではない」。


 フライトで訪れる外国のステイ先ではホテルにこもり、ひたすら試合や練習のDVDを見て過ごす。


 関東1部BIG8所属の横浜国大は今季、第3節を終えて3戦全勝と好調だ。
 趣味はフットボールと言い切る「キャプテン石原」は、「学生には、グラウンドでショルダーパッドの上に羽織るものが必要になる季節まで一緒に戦おう」と話しているという。

【写真】横浜国大のコーチとして21年目を迎えた石原一幸さん=10月8日・アミノバイタルフィールド