自らの思いを、自分の言葉で伝える作業は思いの外難しい。「いいからやれ」ではついてこない、現代の若者を相手にする場合はなおさらだ。
 今年1月、早大「ビッグベアーズ」の監督に就任した高岡勝(49)は、約250人の部員を抱えるチームのトップとして試行錯誤を重ねている。


 実質4年間監督を務めた、濱部昇前監督からバトンを受けた。「引き上げはするが、ぶら下がってこない選手は脱落していくだけ。機会は平等に与える。チャンスを生かすかどうかは学生次第」
 2年連続で関東学生リーグを制したディフェンディングチャンピオンを率いる指揮官の指導方針は明確だ。


 中高一貫校の静岡聖光学院高では、6年間ラグビー部に所属していた。ポジションはFWのロック。高校2年時には、県大会でベスト4まで進出した。
 1浪後、早大の人間科学部に進学。「同じ楕円球なので」と、アメリカンフットボール部の門をたたいた。


 ここでも体格を見込まれ、与えられたポジションは守備ライン。5―2隊形のNGを任されたが「リードディフェンスができなくて、四苦八苦していた」という。
 2年になって手薄な攻撃ラインになった。「先輩がけがをしたことで試合に出たのがきっかけで、それ以来ずっと左のタックルでプレーした」


 卒業後はXリーグの鹿島(現LIXIL)に入社。2年間在籍した後、大学の先輩でもある久保田薫監督が率いる大阪のマイカルに移籍した。
 マイカルでは社員として1994年から5シーズンプレー。ここで一応アメフット選手としての現役生活を終える。


 この後、高岡は思いきった行動に出る。世界最大のヨットレース「アメリカズカップ」への挑戦だ。
 日本の挑戦艇「ニッポンチャレンジ」のクルーを選抜する過程を取り上げたテレビ番組を見て「泳ぎは苦手だったが、ヨットに憧れていた。いつかやりたかった」という理由で応募。体格とアメフットで鍛えた体力が認められて、晴れてクルーの一員になった。


 レースの結果は、本戦前の挑戦艇決定シリーズの「ルイ・ヴィトン・カップ」で敗退。高岡のチャレンジも一つの区切りを迎えた。
 再びアメフットのフィールドに戻った高岡は、2002年の秋シーズンは審判として活動した。「母校への恩返しの意味もあった」という。


 03年に一時早大のコーチになったが、本格的にスタッフに参加したのは13年から。濱部前監督の「運営を手伝ってくれ」というひと言がきっかけだった。


 監督としてのスタートとなった今春は、恒例の「早慶戦」に勝つなど順調だった。だが、6月のイリノイウェズリアン大を招いた日米親善試合では、米国のディビジョン3の相手に6―33で完敗した。
 「ビデオで彼らの試合を見て、いいチームだとは思ったが、立ち上がりで飲まれてしまった。彼らの想像以上のファイティングスピリットは勉強になった」と高岡は振り返る。


 秋のリーグ戦開幕まで約1カ月。初戦の相手は、昨シーズン延長タイブレークの末、やっとの思いで振り切った日体大である。
 「日体大は強い。小林君は、関東でナンバーワンのQB。ブーツレッグは芸術的だし、アフターフェイクもうまい。初戦に合わせてチームを作る」


 「2年連続で甲子園ボウルに出たチームを引き継いだ大変さは、日々実感している。監督のひと言は、大げさに言えば学生の人生を変えてしまう。全ての責任は自分にある」。高岡は覚悟を決める。
 
 
 「彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず」(敵についても味方についても情勢をしっかり把握していれば、何度戦っても敗れることはない)。
 いつも鞄に忍ばせている愛読書「孫子の兵法」の中でも大好きな一節を念頭に、チーム作りの鍵を握る夏合宿に臨む。(敬称略)

【写真】6月のイリノイウェズリアン大との日米親善試合の後、学生に話しかける早大・高岡勝監督