「恥ずかしがらない!」「分からないことは駄目じゃないよ。分からないことを、そのままにしておくのがよくないんだからね」


 声の主は、元NFLサンフランシスコ49ersのチアリーダーズ「ゴールドラッシュ」の一員として活躍した石田真紀さんだ。
 日大フェニックスの練習グラウンドからほど近い、下高井戸商店街の一角にあるダンススタジオ。石田さんは、そこで子どもを対象にしたダンスと英会話教室のインストラクターをしている。


 参加していたのは4歳から小学校低学年の6人の女の子。子どもだからといって甘やかさない。指導は見ている方がハラハラするほど厳しい。付き添いのお母さんたちも、スタジオの控え室でひっそりとレッスンが終わるのを待っている。
 デモンストレーションで見せる踊りに、子どもたちの目は釘付けだ。本場で磨いた「ダンシングクイーン」の動きには、人を魅了する圧倒的な存在感があるからだ。


 「子どもたちには、いっぱい間違えていっぱいできることを増やしてほしいと思っている」。レッスンは日本語と英語が半々。一人が間違えると、いったん動きを止めて全員に注意を喚起する。
 「先生」に問い詰められた教え子は、必死に答えを探す。正解なら褒め、間違えても頭ごなしに叱らず分かりやすく理由を説明する。「私のクラスは、中途半端な気持ちではついていけない」。そう言い切る。


 NFLのチアリーダーを目指したきっかけは意外な出会いにある。それは「鬼監督」として知られた、故篠竹幹夫元日大監督との交流だ。
 突然怒号が聞こえたかと思えば、風呂場から複数の人間の歌声が聞こえてくる。東京の中野区にある日大アメリカンフットボール部合宿所の存在は、石田さんが住んでいる隣の杉並区でも有名だったそうだ。


 「おやじとは、近所に買い物行ったときに初めて話をした。近くに住んでいると言ったら、練習を見に来いと誘われた。それからほぼ毎日グラウンドに通っていた」
 篠竹さんを「おやじ」と呼ぶ石田さんは「近所にいた日大ファンに連れられて試合を見に行った。ルールは知らなかったけど衝撃を受けた。こんなスポーツがあったのかと思った」。中学時代はサッカーとバレーボールに熱中していたが、試合観戦を機にフットボールの虜になったという。


 できれば選手としてプレーしたかったがかなわず、目指したのがチアリーダーだった。ただ、当時あった日大のチアリーダーになることは考えなかったという。
 グラウンドで選手の動きに目を光らせる、通称「おやじ小屋」。石田さんにとって、そこが「教室」になった。
 「今日はどんな話をしてくれるのか、楽しみだった。フェニックスのマネジャーさんから『監督の機嫌が悪いから、来てくれないか』と頼まれたこともよくあった」そうだ。


 2006年から3シーズン、名門49ersのチアリーダーを務めた。厳しいオーディションに合格してつかんだ華やかな舞台。しかし、それまでの道のりは険しかった。
 短大を卒業後、チアリーダーをしたくて複数のXリーグのチームに問い合わせたが、未経験者は門前払い。面接で「チアをやりたいと言ったら、なぜか就職できた」という銀行のチームで、チアリーダーとしてのキャリアが始まる。


 しかし、何か物足りない。「目指すなら世界最高峰を」。石田さんの挑戦が始まった。
 銀行勤務でためたお金で、サンディエゴへ語学留学。しかし、NFLの壁は厚く何度もはね返される。
 チアリーダーとしてのデビューは、2004年。チームはフットボールではなく、サンディエゴに本拠地を置くアイスホッケーのマイナーリーグの「ガルズ」だった。


 2年間を「ガルズ」で過ごし、最後のチャンスという気持ちで、複数のNFLのチームのオーディションを受ける。最初に受験したのが49ers。一時帰国し、本格的に留学していた大学のあるサンディエゴのチャージャーズへの思いを断ち切り、入団を決めた。


 「チアリーダーは、選手やチームの良さを伝えるのが仕事。ファンサービスは苦にならず、むしろ楽しかった」
 待遇面で決して恵まれているとは言えないが、「大金をもらってしまったら、本当の意味でのファンサービスはできない」と言う。


 現在の肩書は「モチベーショナルスピーカー」。子どもから社会人までを対象に、やる気を出させるプロは、自らを「〝元気〟コーディネーター」ともいう。


 「おやじが何を教えたかったのか。それは『自分で切り開け』ということだったと思う。日大グラウンドで聞いた選手、保護者へのメッセージは、今でも鮮明に覚えている」


 49ersでの初年度となった2006年。その年の7月、篠竹さんが73歳でこの世を去った。
 「シーズン前でお別れの会に参加できなかったのは、とても残念だった。でも、おやじならきっと『おれのことはいいから、お前の人生を大切にしろ』」と背中を押してくれたと思う」


 レッスンでは、徹底的に基本を強制し教え込む。それはまさに「篠竹流」であり、「おやじの掲げた三大精神『犠牲・協同・闘争』は私の座右の銘」と話す。


 教え子には、49ersでの経歴を明かさないようにしているそうだ。今の世の中、調べれば分かってしまうがあえてそうしているという。


 「子どもたちがいずれ私の経歴を知ることになった時、真紀先生がスタジオの床を雑巾掛けしていた姿を思い出してくれれば、それでいい」―。

【写真】49ers時代の石田真紀さん