フェイスマスク越しからも見てとれる端整な顔立ち。相手DBを抜き去るスピードとテクニック。抜群の勝負強さ。
 富士通フロンティアーズの中村輝晃クラークは今、Xリーグで最もホットなWRである。


 学生王者・関学大と日本一を争った、1月3日の日本選手権(ライスボウル)。中村はQBコービー・キャメロンとのコンビで、試合を決定づける30ヤードと51ヤードのTDパスをキャッチした。
 「高校、大学でできなかった優勝を経験させてくれたコービーには、感謝している。大げさかもしれないが、彼が人生を変えてくれた」


 2年前、世界選手権日本代表の最終メンバーから漏れた。人数が限られた代表チームでは、一人の選手が複数の役回りを求められる。
 「自分では、どこかで流れを変えられる選手だと思っている」。富士通でWRだけではなく、リターナーとして積極的にプレーするようになった理由である。


 東京の駒場学園高ではDBだった。日大に進学後、本格的にWRとしてのキャリアが始まる。
 「高校時代はキャッチングセンスがまるでなかった。大学では、2年からスターターになったが、試合でいいプレーをしても、次にできるか心配で眠れない日が続いた」という。


 「弱みを見せるな」。日大時代の恩師・須永恭通コーチ(現ノジマ相模原ライズヘッドコーチ)の教えを今も忠実に守っている。
 「日大を出たからには、試合中に痛がったり担架に乗ったりできない。そういう気概を持っていつもプレーしている」


 社会人になって3年目。中村は岐路に立たされる。「もっとできると思っていたが、実力が発揮できない。オフェンスのやり方が、自分にはフィットしていないと感じていた。フットボールがあまり面白くなくなっていた」


 クラブチームへの移籍も考えたが、職を失い当時交際していた妻の雅妃さんを路頭に迷わせるわけにはいかない。
 「まずは仕事をということで、公務員試験を受けて市役所にでも勤めようと思った」と振り返る。


 しかし、キャメロンの加入で、富士通は中村が望んでいた「パスでオフェンスを組み立てるチーム」に徐々に変わっていく。
 「1年目は苦労したが、今はコービーがいてほしいタイミングにその場所に行けていると感じている」
 コンビを組んで3年。日本一の「ホットライン」は、揺るぎない信頼関係で成り立っている。


 中村は1988年9月、フランスのパリで一流の料理人を目指していた父親の雄二さんと母親の基美子さんとの間に生まれた。「こんな顔ですが、両親は生粋の日本人なんです」


 現地の小学校に通っていた11歳の中村を突然悲劇が襲う。雄二さんが交通事故で亡くなってしまう。39歳の若さだった。
 「わずか11年だったが、一生分遊んでもらった」。アウトドア派だったという父親との旅行の思い出を懐かしそうに語る。


 大黒柱を失った中村は、基美子さんとともに帰国する。しかし、待っていたのは言葉の壁。「母との日常会話は日本語だったが、普段はフランス語。日本語の読み書きができなくて困った」という。
 だが、東京・九段の中学の仲間はどこまでも優しかった。一緒に遊び勉強も教えてくれた。
 「彼らの存在は、ほんとうにありがたかった」


 「クラーク」という名前は「両親がスーパーマンのファンで、主人公の『クラーク・ケント』にちなんで付けられた」という。「輝晃」も「光り輝く子に」という両親の思いが詰まっているのだそうだ。


 今年29歳になる。「体力もスキルも、グンと上がる年齢ではないが、毎年自分を変えていきたい。トレーニング以外の部分でも、いろいろと取り組まなければいけないと思っている」
 チームの中で、リーダー的な存在になる覚悟を口にする中村は「負けることが怖かったり、ミスをするのが怖いといったものが心の中にあった方が浮つかない」と話す。


 チームとして初となるライスボウル連覇がかかる2017年シーズンに向け、苦労人「クラーク」はしっかり足元を見詰めている。

【写真】家族、人生、アメリカンフットボールについて語る富士通のWR中村輝晃クラーク選手