時に冷静に、時に熱く。説得力に満ちたよどみない語り口は、まるで哲学者のようだ。
 上海で日本企業の現地法人の人事労務コンサルティング、研修、人事制度策定などのコンサルティングを行う企業の総経理(社長)を務める金鋭(47)は、祖父の代から日本に根付いた「華僑三世」である。
 領土問題などでぎくしゃくする日中関係に心を痛める一方で、「対話を重ねていけば、必ず分かり合えるはず」と話す。両国の事情に精通する国際派ビジネスマンの言葉には、重みがある。


 神戸で生まれ育った金は、甲南大学時代はアメリカンフットボール部のQB、RBとして活躍。オールスターにも選ばれた経歴を持つ。
 小中を中国人学校で過ごした金は野球少年だったが、兵庫県立御影高校ではバスケットボールに熱中した。
 アメフットは一般入試で入った大学から始めた。1985年。1学年上には、当時大学フットボール界で圧倒的な強さを誇った京大のQB東海辰弥がいた。


 「最初のポジションはLB。でも、どうしてもQBがやりたくて監督に直訴した」。エースQBになったのは3回生から。公式戦のデビューは秋の関西学院大学との試合だった。
 当時の甲南大学は関西学生リーグの1部に上がったばかり。しかし、金によれば「私が駄目で入れ替え戦に出場した」。大阪大学との入れ替え戦には勝ち、2部降格は免れたが「作戦面などでの経験が浅く、4回生の期待に応えられなかった」という。


 副将を任された4回生の時も、入れ替え戦に回る。「先輩や後輩のことを思うと、プレッシャーで食事がのどを通らなかった。その時、仲間と銭湯で話し『負けたらそれを受け入れる人生を送る』と腹をくくったら楽になった」。名門・関西大学との入れ替え戦前の心境をこう振り返る。
 結果は勝って1部残留。「あの時の体験が、その後の人生にも生きている」という。


 大学卒業後は、リクルートに就職する。89年春。リクルートには当時、現在のオービックの前身である「シーガルズ」というアメフットのチームがあった。
 「週3回の練習はきつかった。でも、フットボールをやっているから、仕事は大目に見てという言い訳はしたくなかったので、寝ないで仕事をした」


 持ち前のパワフルなランを武器に、RBとして活躍した金は、95年のシーズンを最後に引退。皮肉にもその翌年、シーガルズはデービッド・スタント・ヘッドコーチ(HC=現慶応大学HC)の下で初の日本一になる。
 フットボールから離れた金に、転機が訪れる。会社の中国開発グループに異動になり、上海への赴任が決まる。97年のことだ。


 得意の語学を生かした上海での仕事は楽しかった。
 「出張ベースで3年。その間に今の会社のパートナーと出会った。当時から、経営する側に回りたいという希望があったので、十数人の会社に移ることに葛藤はあったが、中国で勝負すると決心した」。99年、リクルートを円満退社し、本格的な人材ビジネスの道を歩み始める。


 社長として先頭に立つ会社の業務は多岐にわたる。人材の提供から研修、人事制度を作る手助けなど。決して友好的とは言えない中国で事業を展開する日本企業にとっては、なくてはならない存在だ。
 「研修では『違いを理解し、修羅場を通じて自ら進化し、自社のDNAを伝播できる人』の育成を主眼に置いている。人間は修羅場にぶち当たると逃げる人と、避ける人がいる。海外では倫理観がそれぞれ違う。局面をどう乗り越えるか。それはスポーツもビジネスも同じ。言葉として伝播できる人は、海外でも通用する」


 古巣「シーガルズ」の4年連続日本一について、面白い話をしてくれた。大橋誠HCはリクルートの同期でもある。
 「大橋が深い話をしていた。コーチは、どうしても自分の経験則を選手に押しつけてしまいがちだが、それは違うのだという。コーチはあくまでサポーター。選手がやりたいことができる環境をいかに作るかが仕事だと断言する。だから彼は連覇をしても『チームは毎年一から作る』と繰り返す。自分で切り開く。大橋がその雰囲気を作っているのだけれど、結果が出ているので説得力があるし、ビジネスにも通じる」


 「中国は祖国で、日本はふるさと」と表現する金は言う。「日本人同士は、あうんの呼吸、推測、期待、テレパシー。同一民族なのでコミュニケーションが楽。言葉にしてこなかったので、言葉にするのが下手。海外では日本流のコミュニケーションは通じない。だからこそ、言葉にして伝えることが大切になる」


 人を動かす秘訣について聞くと、金はこう答える。「成功体験は、時に足を引っ張る。いろんなパターンがあるが、自分の役割と責任を認識する。人を動かすことは難しいことだと認識することが大事。人によっては指図してほしいタイプと、任せてほしいタイプがいる。任せてほしい人に押しつけて、指図してほしい人に任せるのもよくない」


 「上海に骨を埋めるつもりだった」という金の心境に、最近変化が出てきたという。生まれ育った神戸とフットボールへの思いである。
 「今の自分があるのはフットボールのお陰。50歳になって、人生の第4クオーターを迎えたときに、何か恩返しができたら」―。
 7月12、13日に大阪で開催された、各大学のアメリカンフットボール部OBによるチャリティーフラッグフットボール大会「ハドルボウル」に参加して、あらためてその思いを強くしたと話してくれた。

【写真】リクルート時代のRB金鋭さん