富士通と激戦を繰り広げた「パールボウル」から2日後。春の東日本王者になったオービック・シーガルズのラインバッカー(LB)古庄直樹主将は、試合中に痛めた脚を引きずりながら、約束の場所に現れた。


 自分の左に見えたボールキャリアをチェイスしていたとき、斜め右にいた相手のブロッカーに気付かずに接触し、脚を痛めた。視野の広さが自慢のLBが、初めて経験する状況だったという。
 「その時は、この怪我が引退のトリガー(引き金)になるかとも思ったが、今はこれからの時間をどう過ごすか、自分でも楽しみ」。36歳の古庄は、秋のリーグ戦に向けて既に気持ちを切り替えている。


 古庄は大阪の関西大倉高校でアメリカンフットボールを始めた。「中学3年の時に、関倉が全国大会で準優勝したのを見て、ここでフットボールをやると決めた」という。
 ポジションはRB。しかし、チームの成績は芳しくなく、3年間すべて大阪大会で敗退。全国どころか、関西大会にも進めなかった。


 立命大に進んだ理由も高校進学の時に似ている。1994年の第49回甲子園ボウル。立命大は天才と呼ばれた2回生QB東野稔、日本人離れした運動能力の持ち主、3回生LB河口正史ら攻守にスター選手をそろえ、関東代表の法大を破って初出場で優勝する。
 「あの時の立命は、ものすごく格好良かった。ちょっと悪者的で野性的なチームカラーにあこがれた」


 上り調子にあった立命大で自分はやっていけるのか。不安を感じながら「パンサーズ」の一員になった古庄は、入学後RBからDBに転向する。「その時は、どうしてもディフェンスがやりたかった」と振り返る。
 3年時に甲子園ボウルで優勝したが、優勝候補の筆頭に挙げられていた4年時はライバル関学大に敗れた。
 「関学に負けて、死ぬほどやっても願いがかなわないことがあると知った。でも、4回生の時に勝っていたら、フットボールは続けていたが、今はなかったかもしれない。その時はそう思わなかったけれど、自分の人生でしなければいけない経験だった」


 立命大では、古庄の人生に大きく影響を及ぼす出会いがあった。当時の平井英嗣監督(現日本学生協会理事長)と古橋由一郎ヘッドコーチだ。
 「平井さんは、僕たちにとっては(プロ野球の)長嶋茂雄さんのような存在。フットボール、人に対する愛情にあふれた、本当にすごい人」「古橋さんは、チームのために全てを捧げていた。その姿を見て、僕らはもっと頑張らなあかんと奮起した」
 関学大、京大に勝って関西で優勝するという目標に向かって「プロのような生活をしていた」という古庄にとって、二人は常に「フットボール熱」を与え続けてくれた存在だという。


 平井氏が学生だった頃の立命大は、現在のような強豪ではなかった。しかし、関東と関西の社会人と学生で構成するオールスターチームが対戦する「西宮ボウル」に、関西選抜の一員として出場した平井氏は、豪快なキックオフリターンTDを記録する。
 試合後、関東選抜を率いた日大の篠竹幹夫監督が歩み寄り、平井氏に握手を求めたという話は有名だ。


 将来は治療院を立ち上げたいという希望を持っていた古庄は、大学卒業後、その道の勉強もできるという理由で「マイカル・ベアーズ」に入部する。しかし、チームは親会社の社長が亡くなり、クラブチームになった。
 接骨医の勉強がままならなかった古庄は、「あと1年だけフットボールをしよう」と決め、大学の先輩でもあるDB里見恒平の勧めでシーガルズの門をたたく。2001年。当時はまだオービックではなく、リクルートがクラブチームに衣替えし運営していた頃である。


 シーガルズでも当初はDBをプレー、4年目にLBに転向した。172センチ、84キロはLBとしては小柄だが、40ヤードを4秒5で走るスピードと持ち前の負けん気で、レギュラーポジションを獲得する。
 2007年、大橋誠ヘッドコーチからキャプテン就任を打診された古庄は、「無理です」と一度は断っている。高校、大学では主将どころか副将も経験していないというのがその理由だ。


 だが、毎年ベテランが抜けていくチームにあって「そろそろ自分がやらなくてはいけないと思い始めた」という。
 古庄が入部した当時の遠藤紀彦主将は、フットボールでは無名の一橋大の出身だが、1999年の第1回世界選手権イタリア大会の日本代表に、LBとして選出された実力者である。
 「遠藤さんはすごかった。毎回心に刺さるような話をして、チームをまとめていた。キャプテンとしての在り方は、すべてあの人から学んだ」


 キャプテンとして、今シーズンが8年目。2011年の世界選手権では日本代表の主将も務めた古庄は言う。
 「フットボールを楽しむのであれば『楽』を捨てること。本当の楽しさは、楽をしているうちは味わえない。『楽』を捨ててこそ自分が、そしてチームが変わっていく」


 4年連続日本一のチームの先頭に立つ古庄は、「最後は根性だ」と言う。「フットボールはどんどんシステマチックになっていて、そこに目がいきがち。でも、勝つか負けるかという場面で、物を言うのは理屈ではなく『根性』。どんなにいい選手を集めても、最後はそこに行き着く」と断言する。


 鍼灸師と柔道整復師の免許を取得している古庄は、フィールド外での夢をこう語る。「治療家として、体だけでなくメンタル面でのケアもしていけたらと思っている。フットボールに限らず、いろいろなスポーツ選手の治療に関わりたい」


 年齢的に、現役選手としては一年一年が勝負になる。近年はコーチも兼任する古庄の目標は、もちろん5年連続のライスボウル制覇だが、一方で「アンチシーガルズを含めて、フットボールの面白さを伝えていきたい」。嫌みのない語り口が魅力。「ナイスガイ」とは、こういう男のことをいうのだろう。

【写真】2007年からオービックの主将を務めるLB古庄直樹=撮影:Yosei Kozano、2012年、川崎球場