「日本銀行岡山支店長」。差し出された名刺の肩書きを持つ人物は「屋敷利紀、49歳」。京大アメリカンフットボール部を、チーム史上初の2年連続日本一に導いた1987年度のキャプテンである。


 1987年12月13日、阪神甲子園球場で行われた「第42回甲子園ボウル」で、屋敷率いる京大ギャングスターズは、関東代表の日大と対戦した。
 〝怪物〟と呼ばれたQB東海辰弥を擁する京大は41―17の大差で勝ち、前年の雪辱を期した日大を返り討ちにした。
 センターとして出場した屋敷は、2年連続で最優秀攻撃ラインマン賞を獲得。年明けの日本選手権(ライスボウル)では、実業団のレナウンを42―8で破った。


 富山県有数の進学校、高岡高校から一浪後京大に進んだ。東海は高校の同級生だったが、屋敷は「アメリカンフットボールなんて見たこともなかった。大学には勉強をするために入ったので、スポーツをする気などさらさらなかった」という。


 しかし、中学時代に相撲部屋からスカウトされたという逸話を持つ身長187・5センチ、体重100キロ超の巨漢をギャングスターズが見逃すわけがない。合格発表で早速目を付けられ、当時、京大の新人勧誘には必ず登場するとんかつ店に連れて行かれ、特大の「トンカツ」を振る舞われる。


 「歴史学者を目指していた。文学部を選んだのもそのため」。屋敷は、かたくなに入部を拒否した。だが、OBはあきらめない。
 83年度に、ライスボウルがそれまでの東西学生オールスター戦から学生と実業団のナンバーワンが日本一を懸けて対戦するようになって初めての大会で優勝した時の主将・橋詰公人が、入学式の前に高岡まで会いにやって来た。


 自宅訪問されて、両親が丸め込まれるのを恐れた屋敷は、待ち合わせ場所を高岡駅に指定する。自身も北陸福井県出身の橋詰は、自分は高校時代ブラスバンド部で、ギャングスターズに入ることで「人間は変わる」と熱心に勧誘した。それでも、屋敷の気持ちは変わらなかった。


 全くフットボールに興味を示さない本人をよそに、一通の手紙が両親宛に届く。その手紙には、こう書かれていた。
 「ご子息の顔つきは、ただ者ではない。一運動部だけにとどまらず、日本のリーダーになる目をしている」。差出人はほかでもない、京大の水野彌一監督だった。


 曲折を経てギャングスターズの一員になった屋敷は、すぐに頭角を現す。攻守のラインとして下級生の時から試合に出場。3年時には、ライバル校から「最強ライン」と恐れられる存在になっていた。


 京大の主将は、4年生の互選で選ばれる。一人を除き全ての同級生に支持された屋敷は、強烈なリーダーシップでチームをまとめ上げる。


 「4年の時のリーグ戦、甲子園ボウルそしてライスボウルの全9試合で、コイントスには全て勝った」。引きの強さは抜群だった。「当時の京大は先行逃げ切り型だったので、もちろん試合開始のキックオフではレシーブを選んだ」という。
 同級生には、東海をはじめS平井和彦ら攻守に好選手がそろい、京大史上最強のチームに仕上がっていった。


 「水野監督には、日本一になることが、いかに価値があるかを教えられた。4年生の時に勝つことが大切で、そのためには下級生の助けが必要になる。だから、4年生が頑張っている姿を見せることが大事。組織をまとめるとは、結局そうした浪花節的なものが大きいのではないか」。実践し成功を収めた人間の言葉だけに、説得力がある。
 「大学に入ってからは、全くと言っていいほど机に向かって勉強しなかった」という屋敷は留年。5年生コーチになるが、「後輩を優勝させてあげられなかったことを、今でも申し訳なく思っている」と話す。


 卒業後の進路は歴史学者ではなく、日銀への就職を決めた。「入行直後に受けた英語の試験の成績が、下から3番目だった。これではいけないと思い、必死で勉強した」。努力が実り、米国の名門エール大大学院への留学を勝ち取る。


 大蔵省(現財務省)、金融庁などへの出向やロンドン事務所勤務も経験した。その間、証券会社の破綻など新聞の一面で報じられるような金融危機の際には、常に渦中に身を置き事態の収束に取り組んできた。農学部グラウンドで培った「人間力」が、修羅場で大いに役立った。


 今でも時々試合の夢を見るという。「それは4年生の甲子園で負ける夢で、負けたのはお前のせいだ、と言われたところで決まって目が覚める」。年に何回か〝悪夢〟にうなされるのだそうだ。


 ソフトな語り口が印象的な日銀支店長が、最後にギャングスターズに入部した本当の理由を教えてくれた。それは、当時商社に勤務していたOBの日沖靖・現三重県いなべ市長に京都観光に連れ出されたときの出来事だという。


 「蟹をたらふくご馳走になり、日沖さんがクレジットカードで支払いをする姿が、とても格好良かった。あれが決定打だった」。豪快に笑いながら、入部の真相を語る顔は、学生時代のやんちゃな「屋敷主将」そのままだった。

【写真】2年連続の対戦となった日大との甲子園ボウルを戦う元京大主将・屋敷さん=撮影:山岡丈士、1987年