よく食べよく飲み、そしてよく笑う。いつも陽気な小栗絵里花さんは、1990年に創部した、本格的な女子アメリカンフットボールチーム「レディコング」の主力選手として活躍したメンバーの一人である。


 10年以上フットボールから離れていたが、2年前に「レディコング」のOGらが集まり、練習を再開。しかし、昨年9月に母親が体調を崩し、再び防具を脱ぐ。「練習に毎回参加できなくなったから」というのがその理由だが、その後心を動かされるオファーが舞い込む。大阪の女子チーム「ランガルズ」のグアム遠征に誘われたのだ。


 小栗さんは今回〝フリーエージェント〟としてグアム遠征に参加する。3月2日の試合は、念願だった本場アメリカのチームとの対戦で、「今から楽しみ」と、その日を心待ちにしている。


 小栗さんの経歴は実にユニークだ。1980年代には「女優」として活動。女子プロレスを題材に、山田太一さんが脚本を手がけた「輝きたいの」、川谷拓三さん主演の「3年B組貫八先生」など、数多くのテレビドラマに出演している。
 「小学校5年の頃、友達に誘われて出た映画がきっかけ。ロケでいろいろな所に行けるのが遠足気分で楽しくて、女優さんになろうと思った」。芸能界に入った経緯をこう語る。


 今井美樹さんや三原じゅん子さんらと主役を演じた「輝きたいの」では、本物のプロレスラー、ジャガー横田さんの猛特訓を受けた。パイプいすを飛び越えて受け身をするなどの練習の成果が出て「1回もできなかった腕立て伏せが100回できるようになった」という。


 そんな小栗さんがフットボールに興味を持ったのは、「レディコング」を取り上げたテレビ番組だった。チームのスポンサーだった保険会社の社員ではない、証券会社に勤務する女性がインタビューを受けているのを見て「私もできるんだ」と、入部を決意した。91年のことだ。


 ポジションはOL、DL、TEなどを経験したが、最終的にはDLに落ち着く。以後「当たることが何より楽しい」と、守備の最前列でハードなプレーを続けてきた。
 数年後に入部してきた鈴木(ベティ)弘子さんとは、ともに副将を務め同じラインとしていいライバル関係にあった。「ベティと私は全く違うタイプだけど、不思議と馬が合った」。大阪の女子チーム「ワイルドキャッツ」の練習に、二人で〝道場破り〟に出かけていくなど、研鑽の日々が続いた。


 F1のレースクイーンのオーディションを受けたこともある小栗さんは、中学生の頃には、既に身長が現在の168センチあった。「ベティがタックルで私がガードのポジションに入ると、相手をエンドゾーンまで押せた」。この時から「アメリカ人と対戦してみたい、という思いがあった」と振り返る。


 小栗さんが19歳の時に他界した父親の常治さんは、高校時代に野球の熊本県代表として甲子園に出場したアスリートだった。その血を受け継いだ娘は水泳で体を鍛え、大型バイクを乗り回す活発な少女時代を過ごす。
 「初めて着けた防具はあまり重く感じなかったが、きつく締まる感じで、最初は何をやっても痛かった。ヘルメットはバイクのものと違い、なんて内側が硬いんだろうと思った」


 グアムでの試合は「8人制」で行われる。「私がもう少し早く参加を表明していれば、11人でできたかもしれない」という。試合当日は、愛着のある背番号「74」で守備の第1列の真ん中に位置するNGに入る予定。「相手がダブルでブロックに来たら、それは望むところ」と頼もしい。


 食べるのも好きだが、料理の腕もプロ級の小栗さん。現在はデザイナーとして活躍する生粋の守備ラインは「ラインこそフットボールの醍醐味」。日大、レナウンのセンターとして、日本一を経験した尾寺忠さんから譲り受けた愛用のショルダーパッドをダッフルバッグに詰め、ベテラン女子フットボーラーは決戦の地・グアムに乗り込む。

【写真】レディコングのDLとして活躍した小栗さん(74)