ポジションは「主将」。1992年に「京大ギャングスターズ」のキャプテンを務めた里勝典さん(46)は、まさにそういう「選手」だった。


 試合中はサイドラインに“仁王立ち”し、身じろぎもせずに戦況を見つめる。その姿は無言の圧力となって相手チームにのしかかる。試合に出場することはない。ひたすら立ち続ける。
 京大の選手は、この「象徴」がいることで結束し、何かに取り憑かれたようにフィールド上で激しいプレーを繰り返す。


 大阪の関大一高時代は柔道部だった里さんが、京大のアメリカンフットボール部に興味を持ったのは87年。「怪物」と言われたQB東海辰弥を擁し、京大が甲子園ボウルと日本選手権(ライスボウル)で2連覇を達成した年である。


 『君よ、青春の当事者たれ』。京大出身の作家・真継伸彦さんが、初めて甲子園ボウルに出場した82年と、初優勝した翌年の京大をモチーフに描いたノンフィクション作品がこの年に刊行された。
 本を読んだ里さんは、ギャングスターズに魅せられる。門前払いを覚悟で、京都にある当時の水野彌一監督の自宅に押しかけた。


 憧れの人に会い、ギャングスターズへの思いは日に日に募る一方。現役で入った神戸大を3年の途中で退学し京大を受験、経済学部に合格する。21歳の時である。


 「お前たちは歴代で最悪のチーム。勝てる可能性は全くない」。新チームの主将に指名された91年の12月。里さんは水野監督からはっきりこう言われたという。


 「練習を休むのが苦痛になるぐらいやれ。お前のような中途半端な人間は、自身が勝つことに絶望したとき、初めて一点の灯りが見えてくる」。毎日嫌というほど説教された主将は迷い続けた。


 そして、ある日の未明。里さんは4年生をたたき起こしてこう言った。「一日も無駄にできないのに、今日の練習は無駄やった。今からやり直す」。夜中の2時から始まった練習は、大雨のなかで早朝の6時すぎまで続いた。明らかに常識から逸脱した主将の指示に、この時誰ひとりとして異議を唱える者はいなかったという。


 この年、京大は関西学生リーグで宿敵・関学大、甲子園ボウルでは関東代表の法大を連破し、学生日本一になる。
 日本選手権(ライスボウル)では、あの東海をエースQBに据えた社会人のアサヒビールに敗れたが、甲子園で真っ先に仲間の手で宙に舞ったのは監督ではなく、自らを律し精神面でチームを支え続けた小柄なキャプテンだった。


 「選手としては、全く使い物にならなかった」。京大の監督を退いた水野さんはこう振り返るが、歴代の主将の中で、これほど優れた統率力を発揮した人物はいなかったことも認めている。
 168センチ、75キロ。選手としての「運動能力」には恵まれなかった。だが、その代わりにそれを補ってあまりある強烈な「リーダーシップ」を神様は彼に授けたのである。


 現在、大手の建設会社でグループ会社の経営改善についての援助と指導を担当している里さんは、学生時代のことを実に鮮明に覚えている。言葉を選びながら話す口調は、どこか「恩師」に似ている。


 6勝1敗で優勝した92年のリーグ戦では神戸大に負けた。7―21。完敗である。相手が最初に入った大学だったことに不思議な縁を感じながら、里さんはこう思ったという。「これでやっと本音でやれる」


 退路を断たれた主将は、同期で東海以来の逸材と言われたQB金岡禧友とともに、一切の言い訳を排除してチームを立て直し、ライバル関学大に勝利した。
 「神戸大に勝っていたら、あの年の優勝はなかったと思う」。下級生が中心だったギャングスターズは手痛い敗戦で団結し、驚異的にチーム力を上げてリーグ制覇を成し遂げた。


 京大アメリカンフットボール部の歴史は、「挑戦者」としての歴史でもある。リーグ戦で宿敵・関学大に挑み、甲子園ボウルでは日大、法大の関東勢に向かっていった。


 ただ、過去に一度だけ「王者」として勝つことを義務づけられた年がある。東海をはじめ、センターで主将の屋敷利紀ら各ポジションに好選手をそろえた前述の87年である。
 水野さんも「あの年だけは、どうしても勝たないかんかった」と、これまでにないプレッシャーを感じた一年だったことを、後年里さんに明かしたという。


 今年の甲子園ボウルが終わった数日後。東京都内で会った里さんに、愚問を承知で「あなたにとって、水野さんとは?」と聞いてみた。1分ほど沈黙した彼は、こう答えた。「師匠、ですね…」。
 その師匠が一目置く教え子は、留年した2年間のコーチ時代を含めた京大での6年間を「日大の篠竹さん、関学の武田さんもそうなのでしょうが、水野彌一という人間の下でフットボールができたことは幸せだった」と振り返った。


 「京大イズム」という言葉があるならば、彼はそれを最も強烈に体現した人物だろう。
 96年シーズンを最後に、大学日本一から遠ざかっている母校を憂いながら、里さんはこう言った。「本当の厳しさを求めている人間に対して、指導者はそれに応える義務がある。自分には、こういう一面があったのかという体験は、青春時代にはとても大切なことだから」―。

【写真】京大の主将として強烈なリーダーシップを発揮した里勝典さん(下段中央)=92年、夏合宿