夏が嫌いなのは、それなりにあった青春と呼べる時代に、楽しい思い出がなかったからかもしれない。


 ヘルメットをかぶった時の体感温度は60度。炎天下で重たい防具を着けて走り、ぶつかり合う毎日。過酷な合宿練習ではカレンダーに「×」を付けては「きょうも一日生き延びた」とため息をついていた。


 今では当たり前のように飲まれている「スポーツドリンク」が、練習中に解禁になったのは、確か大学に入ってからだったと記憶している。専用のオレンジ色の容器に入れた水に氷を浮かべ、粉末を溶かして飲む。これが、この世の物とは思えないほどおいしかったことも、鮮明に覚えている。
 下級生のころは、ひしゃくでくみ上げた液体をたらふく飲み、ゲップまでしている先輩を横目に「残しておいてくれ」と心の中で祈ったものだ。


 1970年代後半は、光化学スモッグという不気味な現象が、ただでさえつらい練習にマイナス要素として存在していた。「きょうこそは倒れよう」と心に決めてグラウンドに向かいながら、何とか持ちこたえる日々。楽しいキャンパスライフとはおよそ無縁の体育会の学生を地でいく4年間だった。


 今年の夏は、とてつもなく暑い。天気予報では連日、気温や猛暑日の数などで「観測以来」という枕ことばが必ずつくことになっている。


 ただ、この時期にどれだけ自分を追い込んだかで、秋のシーズンのパフォーマンスが格段に違ってくる。苦手だったタックルが面白いようにできるようになったり、今まで見えなかったものが見えてくる―など、真夏の鍛錬は血となり肉となって大事な場面でその成果を発揮する。


 社会人、大学、高校とそれぞれレベルは違っても、目標に向かって努力する過程は同じだ。食事、衛生面の向上、スポーツ医学の発達で現在は選手の能力を効率よく引き出すシステムが確立されている。しかし、「勝つ」ための心構えは今も昔も普遍である。


 厳しい夏を乗り越え、目指す栄光に近づくためには、個々がどれだけ自分を律することが出来るかにかかっている。日進月歩で戦術が高度化するアメリカンフットボールでも、その部分は変わらない。高校球児が躍動する夏の甲子園が終わり、赤とんぼが我が物顔に河原を飛び回る季節は、意外に早くやって来る。

【写真】練習する京大の中村(左)と山下=2000年、京都市左京区