サッカー元日本代表で、イタリアのセリエAなどでも活躍した中田英寿さんが、あるテレビ番組でこんなことを言っていた。「サッカーは、ピッチにいる選手とサポーターが一体になって得点を喜ぶスポーツなんです」
 確かにゴールシーンがなくもどかしい試合も多いが、得点シーンには思わず体が動いてしまうものである。


 Jリーグにはあまり興味がなくても、日本代表の試合は深夜早朝にかかわらず見てしまう、そんなスポーツファンは少なくない。
 ブラジルで開催されているコンフェデレーションズカップで、日本は地元ブラジルとイタリアに敗れて1次リーグ敗退が決まったが、国内での注目度は抜群。アメリカンフットボールを愛する身としてはうらやましいが、世界中で最も多くの人たちに親しまれるサッカーは、やはり「フットボールの王様」なのである。


 サッカー人気の根源にあるのは国際試合の持つ魅力だろう。国のプライドをかけた戦いは、見るものを熱くする。自国の代表が勝てば言うことはないが、よしんば負けても、ファンはにわか評論家として試合を語り、戦術論は渇いたのどを潤すビールの格好のつまみになる。


 アメリカンフットボールの国際試合の歴史は意外と古い。日本協会の資料によれば、1935年に南カリフォルニア大が来日。甲子園南運動場に強豪を迎えた明大は7-71で大敗した。以後、学生中心の「全日本」がハワイ遠征などで本場のチームに挑んでいる。


 日本のアメリカンフットボールにとって、一つの節目になったのが71年12月に東京・国立競技場で開催されたユタ州立大と「全関東」の試合だろう。
 学生の年間最優秀選手に贈られるトロフィー名にもなっているチャック・ミルズ氏が率いるユタ州立大は「全関東」を50-6と圧倒した。


 しかし、日本チームのオフェンスを指揮したQB佐曽利正良(日大)の華麗なプレースタイルは、米国チームの度肝を抜いた。ミルズ氏の「彼(佐曽利)をアメリカに連れて帰りたい」という試合後のコメントは、今でも語り草になっている。
 日本が初めて本土の米国チームを破ったのは77年1月。関東学生選抜がコーネル大の軽量チームと名古屋の瑞穂陸上競技場で対戦。日大の1年生キッカー柿本富寛が決勝FGを決め、17-16のスコアで歴史的な勝利を挙げている。


 社会人選手を中心にした、本当の意味での「日本代表」が結成されたのは99年の第1回ワールドカップ(W杯)イタリア大会に出場した時だろう。
 NFLを頂点とする米国は出場しなかったが、日本はこの大会で優勝し、初代W杯王者に輝いている。日本は第2回大会(ドイツ)で連覇し、2007年の第3回川崎大会(世界選手権)では、初めて出場した米国に3点差で敗れている。


 3位だった11年の世界選手権(オーストリア)を含め、日本代表を長く指導しているXリーグ鹿島の森清之ヘッドコーチ(HC)は「今は日本代表のコーチではないので」と前置きしたうえで、こう語る。「競技の存続という意味でも、定期的に代表を招集する必要性を感じている。
 対戦相手は米国でも欧州のチームでも、国内で国際試合を開催する重要性を認識している」。森氏は、代表HCとしての経験を踏まえ、代表チームの在り方について協会にリポートを提出しているという。


 国際試合は、観客動員という面でメリットが見込まれる一方で、開催にかかる費用の問題が関係者の意気込みに「待った」をかけていることは否めない。


 少年フットボールやフラッグフットボールで底辺の拡大を図ることは、もちろん大切である。しかし、頂点に位置する日本代表の「ブランド化」は、競技の普及に不可欠な要素である。「JAPAN」の活躍は子どもたちにとって、何よりの刺激になるのだから。

【写真】第4回世界選手権(オーストリア大会)に臨む日本代表。左からWR長谷川、DL山中、LB古庄、QB東野=2011年、岸記念体育会館