JR横浜線の淵野辺駅から、スクールバスで約10分。校名にもなっている美しい桜は見ごろを過ぎていたが、東京・町田にある桜美林大のキャンパスは新入生を迎え、華やいだ雰囲気に包まれていた。


 バス乗り場に隣接する事務棟の一室に、アメリカンフットボール部の尾崎幹男新監督(58)のオフィスはある。大学でのもう一つの肩書きは「入試広報センター広報担当部長」である。


  「尾崎幹男」という名前は、オールドファンにとっては懐かしい響きがある。ライバル関学大と繰り広げた日本のアメリカンフットボール史に残る激闘、1977年の「涙の日生球場」で、京大のディフェンスバック(DB)として活躍。試合には敗れたが、関学大の得意なパスを完封した京大DB陣の一翼を担った、かつての名選手である。


 大学を卒業した尾崎さんは、日本航空に就職。貨物畑を中心に2度のニューヨーク勤務も経験した。経営不振に陥った会社の組織改革を機に、2010年4月いっぱいで退社。桜美林が「パイロット養成コース」を新設した縁もあって、同年5月から大学職員に身を転じた。


  「グラウンドに行ってみたら、実にのどかでゆるい練習をしていたので、近づかない方がいいと思った」。桜美林の練習を初めて見たときの感想だ。それから3年。尾崎さんの経歴を知った理事長から、監督就任の打診があり快諾。アメリカンフットボール部は学内の強化指定スポーツになり、本格的なチーム再建に向けて動き出した。


 桜美林は1968年に創部。関東がまだ並列リーグ制をとっていた80年まで「さつきリーグの雄」として、関東大学選手権に出場する実力を備えていた。
 しかし、00年のシーズンを最後に2部に転落。昨シーズンは3部に落ち、入れ替え戦に勝ってまた2部に戻ってきた。


 「1部復帰」を目標に掲げる尾崎体制になって、桜美林は心強い人材を得た。アリゾナ州立大でアシスタントコーチを務め、昨年までXリーグの名門アサヒビール・シルバースターでヘッドコーチ(HC)だった関口順久氏をHCとして招聘。練習メニューや戦術面は、すべて関口HCが取り仕切っている。


 「ヘッドコーチがやりやすい環境を作るのが私の仕事。OB会を含めたバックアップ態勢を、京大でのノウハウを生かして整備していきたい」。自らは、あくまで裏方に徹するつもりだが、やはり「京大ギャングスターズ」のネームバリューは抜群。既に学生の心をがっちりつかんでいる。


 愛知県で有数の進学校の東海高から、1浪後に京大に進んだ。特上のトンカツを振る舞われたことに恩義を感じ入部した学生が多いという話は有名だが、尾崎さんは「フットボールをやるために京大を選んだ」。その時代では珍しい“志願兵”だったという。
 「限界は挑むものではなく、越えるもの」。数々の名言を残したカリスマ指導者、当時の水野彌一京大監督の教えは、今も心に深く刻まれている。


 日大三高時代に、高校日本一を経験したDB高谷聖主将が率いる新チームの選手は、4月10日現在で24人。「決して恵まれているとは言えない環境で、チームを作り上げていく状況は京大に似ている」


 米国に残した家族との別居生活は今年で14年目。監督になったことで、大好きなオペラ鑑賞の時間も削られるが、「監督として燃えるものもあるし、学生に充実感を味わわせてあげたい」。柔らかい物腰が印象的だが、言葉にはチーム再建にかける強い意欲がにじむ。
 6月には人工芝の専用グラウンドが学内に完成する。「オベリンナー」が輝きを取り戻す日は、そう遠くないかもしれない。

【写真】桜美林大の新監督に就任した尾崎幹男さん=10日、町田キャンパス