なかなか思い通りにいかないのが人生だが、コーチとはそんなジレンマを感じる毎日を余儀なくされる稼業のようだ。選手として輝かしい実績を持つコーチほど、悩みは深い。意欲はあっても、結果に結びつかない。Xリーグ「ノジマ相模原」の須永恭通ヘッドコーチ(44)もそんな一人である。
 

 選手時代の経歴は華々しい。日大では4年時にQBのエースナンバー「10」を背負い、1991年の日本選手権(ライスボウル)での3連覇に貢献。最優秀選手にも選ばれた。卒業後に進んだオンワードでも、日本一を経験している。1999年にイタリアのシチリア島で開催された第1回ワールドカップ決勝では、メキシコを相手に延長で勝ち越しのTDパスを決め、日本代表を初代王者に導く立役者になった。2000年には、NFLヨーロッパ(NFLE)に参戦。スコティッシュ・クレイモアーズのQBとしてプレーした。


 オンワードのコーチを経て、05年から母校日大の指導に携わった。3年目の07年には、17年ぶりの甲子園ボウル出場を果たした。結果は関学大に38-41で敗れたが、大会史上に残る激戦を覚えているファンは少なくないだろう。監督との指導方針の違いで、10年シーズンを最後に日大のコーチを辞し、2年前にクラブチーム、ノジマ相模原のヘッドコーチに就任した。


 NFLEでの経験が、コーチをする上で役に立っているという。「扱いは3軍で、練習でもあからさまに自分のパスを受けようとしない選手がいた。日本では、常にちやほやされていたので正直ショックだったが、控え選手の気持ちが理解できた」


 環境には決して恵まれていない。チームを任された当時は、練習場の確保もままならなかった。選手のリクルートも、企業チームへの加入選手が決まってからとなるので、体制作りは常に後手に回ることになる。「学生時代から、常にトップチームでフットボールをしてきたので、戸惑いもある」と話す一方で「チームを作る喜びを感じている。人の心に、何かを刻めるチームにしたい」。東京・国分寺の自宅から相模原市のグラウンドまでの車中で、練習方法やシステムの構築に思いを巡らせる時は、やりがいを感じるという。


 「学生時代の遺産は、社会人では通用しない」が持論。「まだまだ力を出し切っていない選手の、潜在能力を引き出すのが自分の仕事」という。昨シーズンはプレーオフのファイナルステージ準決勝でオービックに敗れた。スコアは10-24だが、次の試合を見据えて主力を温存した相手との実力差は、メンバー全員が誰よりもわかっていた。


 「今は全てが足りない。選手だけでなくコーチ、スタッフのレベルアップも必要」と話す須永コーチは、選手を前にこう語る。「今年が人生で最高だったと思えるような取り組みをしよう」。新チームの春の初戦は、5月12日のパールボウル・トーナメント。準々決勝でアサヒビールとオール三菱の勝者と対戦する。

【写真】プレーオフ準決勝・オービック戦で指示を出すノジマ相模原の須永ヘッドコーチ=横浜スタジアム、撮影:Yosei Kozano