スポーツの世界には「歴史に残る名勝負」として語り継がれる試合がある。
 国内のアメリカンフットボールでは、学生日本一を決める「甲子園ボウル」で数々の名勝負があったが、今回は今から35年前、大学フットボール界をリードする関西学生リーグで繰り広げられた死闘「涙の日生球場」を紹介する。


 1977年11月13日。関西学生リーグで互いにライバルと認め合う関学大と京大が、優勝を懸けて対戦した。舞台は大阪の日生球場。当初この試合は、20日に万博記念競技場で予定されていたが、地元テレビ局が急きょ中継することになり1週間早まった。
 春の対戦は京大が35-0と関学大を圧倒。攻守に人材をそろえた京大が、悲願の甲子園ボウル出場に確かな手応えを感じて臨んだ秋のシーズンだった。


 名将・水野彌一監督率いる京大は、QB宅田裕彦、RB津島光を中心にしたオプション攻撃で、試合開始直後から面白いようにゲインを重ねる。
 一方の関学大オフェンスは、第1クオーターだけで2インターセプトを喫する最悪のスタート。小雨が降る野球場で、「GANGSTERS」の選手が躍動した。


 「スナップと同時に大きな穴が開き、京大のRBと一対一の勝負が続く。まるでタックルの練習をしているようだった。キーリードといったセオリーは通用しない。五感で感じたままに動き、ひたすらタックルにいった。宅田さんの操るオプションプレーは『このまま永遠に止まらないのでは』と思った」
 関学大守備陣の最後尾を守っていた2年生セーフティーの細田泰三は、部の機関誌「FIGHT ON」で当時をこう振り返っている。通常、最後の砦としてパスを中心に守り、ランに対してはサポート的な役割を果たすポジションの細田のファーストタックルは、第1クオーターだけで実に15を数えた。


 前半を14―7で折り返した京大は、後半早々に21―7とリードを広げる。超満員のスタンドは勝利を確信する京大ファンの歓声と、常勝を誇った関学大の敗北を覚悟するファンのため息が交錯した。 ところが、ここから奇跡が起きる。勝ちを意識し過ぎたのか、京大が信じられないミスを連発する。


 インターセプト、ファンブルリカバーとターンオーバーで流れをつかんだ関学大が、じりじりと追い上げ、ついに第4クオーターに逆転。結局、29―21でまれに見る激戦を制した。
 水野監督が京大史上最強と述懐するチームは、前年に続き関学大の青い壁を乗り越えることはできなかった。


 試合のスタッツを見ると、信じられないことに関学大は、QB猿木唯資―WR志浦康之のホットラインはもちろん、チームの生命線であるパスが1回も成功していない。
 エースRB越中啓至の走路を開けるため、全員が泥くさくそしてしつこいブロッキングに徹していた。まさに王者の意地とプライドでたぐり寄せた勝利だった。


 関学大は甲子園ボウルで、関東の宿敵・日大と顔を合わせる。オフェンスシリーズの最初のプレーは、猿木から志浦へのロングTDパス。京大戦のうっぷんを晴らすかのような、鮮やかな先制パンチで、「FIGHTERS」は史上初の甲子園ボウル5連覇を達成する。


 関学大の歓喜の涙にスポットライトが当たることが多い一戦だが、京大の流した悔し涙もまた「涙の日生球場」を彩る、もう一つの物語として語り継がれている。(文中敬称略)

【写真】京大のオプション攻撃を率いたQB宅田(左)=77年、日生球場、写真提供:山岡 丈士氏