試合翌日のオフは、授業に出る場合を除き門限は午後5時。禁酒禁煙は当たり前で、夜の盛り場に繰り出すなどはもってのほか。大学4年間の合宿所生活は、どんな「箱入り娘」にも負けない厳しい規律に縛られていた。


 7月に7回忌を迎えた恩師、篠竹幹夫前日大アメリカンフットボール部監督については、数々の逸話があるが、いつの時代も学生を心の底から愛した人だった。指導は、私生活の乱れはそのまま練習や試合に悪影響を及ぼすとの信念に基づいていた。二十歳前後の学生の考えることなどは極めて危うく、高が知れている。わが身を振り返ってみても、それはその通りだと思う。


 「スポーツは勝つことがすべて」を掲げる一方で、教育者として礼儀や世間の常識をたたき込む。「どんなに辛いと言ったって、たかがスポーツじゃないか。たったの4年間。この程度のことに耐えられなくて、社会に出て何ができるというんだ」。1日で体重が3、4キロ落ちる過酷な日々に耐える教え子を、篠竹さんはこう叱咤した。

 
 単なる「鬼監督」ではなかったところが、学生に「おやじ」と慕われた理由だ。鉄拳制裁も辞さないスパルタを貫く一方で、驚くほどの達筆でロマンチックな詩を書き、自ら曲をつける。お気に入りのシャンソンの名曲「百万本のバラ」をロシア語で歌う。硬軟を兼ね備えた人間性は、魅力的だった。


 25年以上も前になるが、駆け出し記者時代を過ごした大阪で、関西の強豪大学のOBに言われたことがある。「日大さんが帰ったあとのロッカールームは、ちり一つ落ちていない。あれには本当に感心させられますなあ」。チームが強いとか、今年のQBは素晴らしいといったことよりうれしい褒め言葉だった。後日、篠竹さんにこれを伝えると「当たり前だ」と言いながら、珍しく表情を崩していたのをよく覚えている。


 「10年前のやり方で学生を指導している」。晩年は、学生との世代ギャップに悩んだが、独自の指導法にこだわり続けた。いくらいいプレーをしても、ガッツポーズなどしようものなら、二度と試合に出してもらえない。「勝っても負けても淡々と」。勝利至上主義とは一線を画した「侍フットボール」を標榜したカリスマの教えは、実にシンプルだった。


 「確かなものは、覚え込んだものにはない。強いられたものにある」。日本を代表する批評家、小林秀雄の名言を集めた「人生の鍛錬」の一節で「強制されたものが、案外後々になって自分の力になることが多い」という意味だという。楽しいキャンパスライフとは無縁の学生生活だったが「おやじの流儀」は示唆に富んだ言葉とともに、今も心の中に生きている。(宍戸博昭)

【写真】篠竹幹夫前日大アメリカンフットボール部監督=1990年撮影