2002年2月3日。NFLの王者を決める第36回スーパーボウルの舞台となったルイジアナ州ニューオーリンズは、異様な緊張感に包まれていた。
 AFCの覇者ペイトリオッツとNFCを制したラムズの一戦を前に、ディキシーランドジャズ発祥の地として知られる陽気な街は、いつもより控えめに米国最大のスポーツイベントの幕開けを待っていた。


 01年9月11日に起きた米中枢同時テロで、スーパーボウルは当初の予定より1週間遅れてキックオフの日を迎えた。恒例の謝肉祭、マルディグラと時期が重なったため、日本を含む海外メディアが宿泊するホテルは、いったんキャンセルとなった。


 日本の関係者にNFLから割り当てられたホテルは、通常の1泊30ドルが270ドルにはね上がった。普段は使っていない部屋を、突貫工事で客室にしたのは明らかで、水道管にたまった錆がとめどなく流れ出てきて、滞在中ついに透明な湯水が出ることはなかった。


 試合当日。現地入りしてからずっとそうだったように、どこに行くにも厳しいボディーチェックを受けた。フットボール選手のような筋骨隆々の兵士とライオンのような軍用犬が、街のあちこちで目を光らせていた。


 厳戒のスーパードームで開催された大一番で、主役を演じたのはペイトリオッツのQBトム・ブレイディだ。プロ2年目、ミシガン大からドラフト6位という低い評価で入団したブレイディは、シーズン序盤にリーグを代表する先発QBドルー・ブレッドソーが故障し、出場のチャンスがめぐってきた。
 スターターになってからは、卓越したリーダーシップと落ち着いたプレーで、チームをスーパーボウルに導いた。


 ラムズのQBカート・ワーナーは、スーパーマーケットで時給5ドルのアルバイトをしながら、アリーナ(室内)フットボールで腕を磨いた苦労人。ともにエリートではない両司令塔の対決は、話題性十分だった。


 全米がかたずを飲んで見守った一戦は、一進一退の攻防の末、ペイトリオッツが試合終了間際にキッカー、アダム・ビナティエリのFGで20―17で競り勝ち、スーパーボウル初制覇を果たし、ブレイディは最優秀選手に輝いた。
 未曾有のテロに見舞われた米国民に勇気を与えたのは、ブレイディ率いる「ペイトリオッツ(愛国者)」だった。


 リーグの顔とも言えるブレイディの存在感は抜群だ。08年、開幕のチーフス戦でブレイディは左膝を負傷し退場。手術が必要な重傷で、そのシーズンはフィールドに戻ることはなかった。
 ブレイディがけがをした場面は、ペイトリオッツの選手にブロックされたチーフスの選手がバランスを崩し、ブレイディの膝にヘルメットがぶつかったというもの。当時のルールでは反則ではなかった。


 しかし、このプレーがきっかけで、地面に倒れた守備側の選手がそのままの状態でQBに接触することを反則とするルールの修正が行われた。いわゆる「ブレイディ・ルール」である。
 昨シーズンの開幕前には、新労使協定の交渉決裂でロックアウト(施設封鎖)したオーナー側を相手取り、独禁法違反で提訴。複数選手による集団訴訟だったが、米メディアはこれを「ブレイディ訴訟」と名付けた。


 ペイトリオッツは、前回のスーパーボウルでジャイアンツに敗れ、4度目の優勝を逃した。試合後、スーパーモデルでもあるブレイディのジゼル夫人が、終盤の大事な場面で夫のパスを捕りそこねたチームメートを批判する発言をし、物議を醸した。
 カリスマ性が際立つブレイディも、この時ばかりは冷や汗をかいたようだが、凡人にはちょっとほっとするエピソードではある。

【写真】16戦全勝した2007年シーズン、モスへのTDパスを決めて喜ぶブレイディ(ロイター=共同)