ロンドン五輪、陸上男子100メートル決勝。「人類最速」を決めるレースは、世界記録を持つウサイン・ボルト(ジャマイカ)が、大方の予想通り圧勝し、金メダルを獲得した。
 優勝タイムは9秒63。わずか10秒足らずのレースだが、この種目は数ある五輪競技種目の中でも別格であることを、あらためて認識させられた。


 五輪の100メートル優勝者で、強烈なインパクトを日本人に残したのは、やはり1964年、東京五輪でのボブ・ヘイズ(米国)だろう。ダイナミックなフォームで、国立競技場を10秒0で駆け抜けた姿を、今でもよく覚えている。


 183センチ、85キロ。「褐色の弾丸」の異名を取ったヘイズは、テキサス農工大ではアメリカンフットボールのランニングバック(RB)だった。65年、五輪前にドラフト指名されていた米プロフットボールNFLに身を投じる。
 名門ダラス・カウボーイズで快足ワイドレシーバー(WR)として活躍。五輪の金メダルとスーパーボウルの優勝リングの両方を手にした、ただ一人のアスリートとして、歴史にその名を刻んでいる。


 74年3月。ヘイズは、フットボール選手として再来日している。舞台は本人にとっても思い出深い国立競技場。当時まだ、カウボーイズに在籍していたヘイズは、在日米軍チームの一員として、関東社会人選抜チームと対戦した。
 ヘイズ人気は五輪から10年たっても抜群だった。試合当日の1週間前から、日本の新聞はヘイズの動向を連日伝えていた。


 この試合で、米国流に言えば「お前は一日中ヘイズを追い掛けていろ」というミッションをコーチから授かったのは、日大を卒業し海運会社で働く傍ら、クラブチームのシルバースター(現Xリーグのアサヒビール)でディフェンスバック(DB)をしていた荒木秀夫だ。
 「ヘイズはその時、既に選手としてのピークは過ぎていたと思うが、とにかくスピードが桁違いだった。パスのキャッチング能力も高くて、日本人相手なら楽にカットできるボールを取られた。タックルしたときの鋼のような筋肉の感触は、それまでに経験したことのないものだった」。荒木は、ヘイズの印象をこう振り返る。


 75年のシーズンを最後に引退したヘイズは、その後アルコールや麻薬におぼれ、すさんだ生活を送る。その影響もあって2002年9月18日、生まれ故郷のフロリダ州ジャクソンビルの病院でがんのためこの世を去る。59歳の若さだった。
 04年には、殿堂入りの最終候補に残ったが、過去の麻薬使用などが問題視され落選。殿堂入りしたのは、亡くなってから7年が過ぎた09年だった。


 ヘイズの後、68年のメキシコ五輪の100メートルを史上初の9秒台で制したジム・ハインズら米国のスプリンターがNFLに挑んでいる。しかし、いずれも足は速いが、パスレシーブに難があるという理由で、成功した例はない。さまざまな競技でスーパーアスリートを生む土壌がある米国でも、ヘイズは極めてまれな存在だった、と言えそうだ。

【写真】東京五輪、陸上男子100メートル決勝 1位になり観衆に手を振って応えるボブ・ヘイズ=1964年、国立競技場