日焼けした左の手首に、くっきりと腕時計の跡が残った。ここ一月半の間にけっこう日焼けしたが、この日でとどめを刺された形になった。
 フィールドのバックスタンド、関学の応援席に陣取る以上、ほぼ真正面から初夏の強烈な日差しを浴びるのも仕方のないことである。


 今年の明大と関学の定期戦は5月29日、東京都調布市のアミノバイタルフィールドで行われた。数えて68回目。後半に逆転、また逆転の盛り上がりを見せた末、関学が27―25で勝利を収めた。成績は関学の6連続の白星で、通算53勝13敗1分け1中止となった。


 この定期戦は関学にとっては、春の大切なカードの一つである。一度ご紹介したが、関西の先達、関西大学と同志社大学に追いつき追い越せと、必死になっていた関学はさらなる高みを求めて、関東の有力校の胸を借りようと試みた。


 選び出した相手は明大だった。明大に決まったいきさつは、皆さんもご存知の米田満さんがお書きになった書物に詳しい。
 チーム発足の1941年(昭和16年)当時の中心メンバーだった井床国夫さんに手ほどきをした明大の監督花岡惇さんとの縁で話が進み、晴れて定期戦誕生の運びとなった。


 花岡さんは明大のみならず、関西では関大の発足に力を添えるなど、日本のフットボール界全体の推進者として終始尽力。のちに読売新聞の記者として、普及、発展に貢献された。
 私がこの世界へ入ると花岡さんは大喜びで、あれこれと手ほどきをしてくださったことを懐かしく思い出す。


 ともかく当時の明大は、史上9番目に誕生した若いチームを「定期戦」という形で、これからずっと面倒を見ようと男気を出してくれたわけである。関学にとってありがたい話だった。


 その記念すべき第1回定期戦は、1947年(昭和23年)1月25日に甲子園球場で行われた。この年は元日に第2回の甲子園ボウルが開催され、フィールドの中のフットボール用の設備がそのまま残っていたので、そうした諸々を再利用しての定期戦だったと、古い先輩から聞いたことがある。
 この第1回の定期戦は、関学が第1Qに1TDを先取。明大も反撃して第2Qに追いつき、6―6のまま第4Qへもつれ込んだ。しかし明大は試合運びに一日の長があった。


 「明治は巧妙なトリックパントの奇襲からチャンスをつかみ、地力のほどを見せて、内山孝の猛ラッシュから勝ち越し点を挙げ、13―6を持って気鋭の関学を下した。関学としてはもちろん、覚悟の上の敗戦ではあったが、予想以上の善戦は前途に一筋の光明を見出したもののごとく、春のシーズンを待ち望む気持ちは従来になく明るいものであった」と、米田さんは力を込めてこの試合を締めくくっている。


 関学はこの定期戦を境に、見違えるようなチームに生まれ変わった。東の強豪・明大と6―13の接戦を演じることができた自信が、チームの戦力そのものを飛躍的に高めたのは間違いない。
 翌48年1月23日に名古屋の瑞穂競技場で第2回の定期戦を行い、19―6で勝利を収めた。


 余談だが、この2試合は年度で言えば1948年度(昭和23年)と49年度(昭和24年)の試合ということになるのだろうが、関学の公式イヤーブック「FIGHTERS」(ファイターズ)では、いずれも1年ずつ前倒しになっている。
 主将の在任期間に基づくもので、それほど厳密なものではないが、回数などを勘定し直す際に気をつけねばなるまい。


 ちなみに第3回は1950年度(昭和25年)で、試合日は昭和26年1月20日、場所は後楽園である。
 この年、昭和26年は9月9日に西宮で第4回定期戦が開かれ、年度と日付の整合性がきちんと整えられるようになった。


 このほか、当時からの東西の定期戦は、厳密に処理しようと思えば、各大学チームの歴史を紐解くところから始めねばならない。
 関西最古参の関大は、日本のオリジナル3チームの早大や、1935年(昭和10年)発足の法大と組み、関西2番手で1940年(昭和15年)スタートの同大は東西4大学交流戦と銘打たれた催しなどで慶大や立大とカードを組んだところが、定期戦の発端となったような気がする。


 こうした催しは通常、年ごとに東西をいったりきたりする。昨季は日大が大学創立の記念試合の一つに関学を選んだいきさつから、関学としては明大の西下を希望した。しかしそうはならず、便宜的に見送りとなったという。


 さて、今季2016年の明大と関学定期戦だが、面白い試合だった。春の試合というものは、どうしても秋への課題を探る場になってしまい、ケースによっては極めてつまらない勝負になってしまうことがある。
 不勉強で明治さんの意図を承知していないが、関学の方は若くて、現場を熟知したOBの方々から今年の課題を耳打ちしていただいた。


 試合後、近所の中華料理店で、この日集まった在京の関学のOB会があった。聞いてみると、強化の要点は「ライン」の一点張りだった。その意味で試合を通してみると、いい意味でも悪い意味でも多大の収穫があったとのことだった。


 攻守ともに力のあるいいラインだった。しかしこれに満足していたら秋に立命大の餌食になる。現に3週間前、立命大の守備ラインが早大の攻撃ラインをを手も足も出ない状態に追い込んで見せ、快勝している。関学にももっと分厚いラインをと、テストは始まったばかりだった。


 明大も見事な攻撃を組み立てて見せた。今シーズン、こんなに見事な切れ味を持った攻撃は一度も見せていない。この定期戦を前に、しっかり練習してきたのだろう。その成果をフィールドで展開した。チームの持ち味であるスピードが目を引いた。


 「野崎和夫監督から卒業しなければ」と明大のコーチ陣の方々はこう口にするものの、むしろ私が見ているものは、野崎さんが工夫したあの歯切れのいいラン中心の攻撃だった。QBをゴールラインと平行に動かし、TBをラインの開けた穴へ鋭く突っ込ませるそのオフェンスを自ら指揮する姿がダブって見えた。


 後半は明大のスピード豊かなランプレーに関学ラインはほんろうされっ放しだった。第3Q7分39秒、関学はRB野々垣が1ヤードのTDを記録し、24―7と差を広げたものの、むしろ情勢は混とんとするばかり。


 明大は残り5分13秒、RB福田がドローから12ヤードを走って14―24。リズムのいいランプレーの組み合わせは、完全に関学を圧倒した。
 第4Q11分56秒にはFGで17―24。さらに関学のミスに付け込んで、自陣46ヤード地点から堂々のドライブ。2分10秒に福田がTDを挙げ、当然2点コンバージョンである。波に乗る明大はこれに成功して25―24と逆転したが、残された時間はまだ少し「余計にあった」ようである。


 関学は相手の反則もあって、残り2分1秒で明大陣49ヤード。QBに入っていた中根が、左サイドの奥深くへ、ロングパスを投げた。ここで明大に致命的なパスインターフェアの反則が出た。
 2年前と4年前の定期戦が鮮明に思い出された。「画竜点睛を欠く」という。明大にとってのあれほどのランニングプレーの積み重ねと、両校のファンにとってスリルに富んだ試合とが、この1プレーで無に帰した。


 関学は時間を使ってTDを目指したが届かず残り16秒、キッカー西岡が25ヤードのFGを決めて27―25と再逆転した。

【写真】第68回明大―関学定期戦は一進一退の好ゲームになった=5月29日・アミノバイタルフィールド