身辺がにわかに騒がしくなった。11月も半ばになると、連日のようにミーティングが開かれた。大学のOB、古参選手らが、入れ代わり立ち代わり、私ども高等部の部室などへ来て激励し、忠告をたれ、心得を述べ、ハッパをかけた。
 先方は、つまり大学のメンバーたちは、既に甲子園ボウルを2度も体験している。その経験に基づいて、高校生たちに少しでもためになるもの、日本一になるために役立つものを残してやろう、という気持ちなのが、手に取るように分かった。ありがたいことだった。


 しかし、本当にためになり、実(み)になったのは、慶応高校とはどんなチームで、どんな選手がいて、どこが強くてどこが弱いのか、という戦力分析そのものである。
 前回少し述べたが、ガードの木谷直行、QBの鈴木智之両君は、日曜日に照準を合わせて11月9日の金曜日に上京。11日に二強とされていた慶応と麻布を偵察。その新鮮な材料を持って帰ってきた。この二人の目と戦力分析が、最も有力な討議資料だった。


 夜行列車を使って、そのまま月曜日に登校してきた二人を、私たちは大喜びで出迎え、質問攻めにした。
 この時期、関西の日程では甲子園ボウル出場決定は、まだ2週間も先の話である。しかし、私たちはさまざまなうわさ話から、甲子園へ出てくるのは麻布よりも慶応ではあるまいかと見ていた。


 麻布ではラインの中心に構える大柄な選手の話が中心だった。体重は26貫(97・5キロ)あって、攻撃ではタックル。守備の時はガードでプレーするという。
 この体重で俊敏に動かれたとしたらどうにもならないが、動きは「それなり」ということで「当たり負けしないことだな」でディスカッションを打ち切っている。


 問題は慶応だが、偵察隊二人の意見は、「慶応はバックスのチームで、素晴らしいパスを持っている」との2点で一致していた。
 攻撃隊形はAフォーメーション。ショートパントフォーメーションという言い方もあって、どこがどう違うのかよくわからなかった。要するにエースRBが、今でいうTBの位置について、投げ、かつ走るというスター選手ぞろいの慶応ならではのフォーメーションだった。
 ノートを片手に黒板へ向かう二人の手元を見ながら私どもは自信を深め、闘志を高めていった。


 時系列をもう少し整理しておこう。甲子園出場を決める「関西高校選手権」は10月半ばに開幕。「奈良・大阪・兵庫」ブロックの関学は初戦で奈良高を破り、翌週の10月20日、池田高との練習試合。11月6日の火曜日に豊中高を退けて準決勝へ進んでいる。
 この時点で「偵察員」を東京へ送り出し、麻布、慶応両校の戦力を持ち帰ったというわけだ。選手権の準決勝、決勝はこの後である。


 京都の日吉、広島の崇徳との準決勝、決勝は11月24日に花園、25日に関学とえらく詰まった日程で行われたが、結果は予定通りだった。
 東も慶応が20―13で麻布を下し、3年連続3度目の出場を決めた。ただこれが24日の試合だったか25日だったかはよくわからない。
 当時の東西間のニュースの流れなどは、大体この程度だったことを付け加えておこう。むろん慶応サイドの資料でははっきりした日時、試合場所があるはずなので、この辺は埋めていただけよう。


 準備万端怠りなし。あとは12月8日(土)に来阪する慶応を迎え、9日(日)の試合を待つばかりとなったところで、「一大事件」が発生した。
 慶応の攻撃はAフォーメーションではない。「ダブルT」という新しいフォーメーションだ。QBがセンターの後ろに二人つく。無論ボールがどっちのQBに出るかがわからない。麻布はこれに負けた。このニュース、誰がどこから持ち込んだのか、部の中は騒然となった。


 高校生の頭の中は、前年の5月7日、花園で早大QBのリバースピボットからのハンドオフに、関学の大学チームがきりきり舞いした姿が鮮やかに浮かび上がった。
 「ダブルT」だとその選択肢は一気に倍増するのではないか。そこから展開されるプレーを見たことがある者は、誰もいない。「図面」もない。これはえらいことになった。せっかく木谷君と鈴木君に東京まで行ってもらったのに、あれは何だったのか。


 このニュースを耳にしてから試合当日まで、作戦を練り直す余裕は一切なかった。そもそもどんなフォーメーションなのかが、まったくわからない。
 「こうなったら仕方ない」。覚悟を決めたら、若者たちはあっさりしていた。センターの股の間に二人のQBの手。これをイメージするのは結構難しかったが、当たり負けさえしなければ、ハーフタイムでデータを持ち寄り、ここで改めて方策を考えれば間に合うだろう。「それからでも遅くはあるまい」などと多くの者が楽天的なことを考えていた。


 試合当日は快晴だった。朝のピリッとした空気が外野の芝の上を流れていた。どこかわくわくした気分だった。
 「上がったらあかんで。やらないかんことが、何も出来んようになる」。年長者からの貴重な忠告をこの日までどれほど聞いたことか。
 「スタンド見るねん。誰が来とるか分かったら、もう大丈夫や」。「そやけどな。スタンド見るの忘れるくらい上がっとったらもうおしまいやけどな」


 外野の芝はもう薄茶色になっていたが、普段の練習場に比べれば、その柔らかさ、やさしさは雲泥の相違だった。「思う存分ブロックもできそうやな」と、うれしそうに語り合いもした。


 関学の最初の攻撃がパントで終わった後、いよいよ待望の「ダブルT」に対面した。持って回った言い方はするまいと思う。要するに普通の「T」ではQBがセンターのお尻に手を当てて、直接ボールをもらうのだが、ダブルではその手が二人分になっただけのことだった。
 しかも球をもらうには二人とも手の位置が極めて不安定だった。それにQBが動ける範囲はいたって狭い。


 当時の私たちはQBの動き、ハンドオフとそのフェイク、ピッチアウト、といったTフォーメーションが有しているそのトリッキー性ばかりを重視していた。
 こうしたものばかりに目を向けていると、「T」の特長を見誤ることに気付いたのはもっと後年のことだが、恥ずかしながらこのころの高校生が持っている「T」に対する認識などはせいぜいこんなものだった。


 慶応にしても「ダブルT」は目先を変えるために使ったものの、これで全試合を戦うつもりはなかったに違いない。現に練習でプレーを合わせてみてもその不自由さにはすぐ気が付くはずだ。
 後に数多く出てくる「T」のバリエーションとは性格が違っていた。不自然さがないフォーメーションだったら、もうすでに本場からで確立された「ダブルT」が入ってきたはずである。ところが現実はそうではなかった。決勝で敗れた麻布にしても、これで負けたというより、慶応の実力そのものに屈したのであろう。


 さて最初の慶応の攻撃をパントに追い込んだ関学は、次の攻撃で順調に前進。FBの芳村昌悦が右オフタックルで先制のTDを挙げた。TFPはキックだった。甲子園での高校王座戦でポイントを蹴ったのはこれが最初だろう。
 出場が決まってからの練習で、誰が言い出したのか自然にキックをやろうという流れになり、同級生の外賀治(げが・おさむ)がキッカーに選ばれていた。外賀はこの試合で4本の内3本を決めた。


 第2Qの関学は、負傷したRB大藤努の後へ入った山下末次がチーム一の俊足を生かし、中央突破から50ヤードを独走。次いで鈴木からエンド西村一朗へエールパスが決まって三つ目のTD。後半にはシングルウイングを使う余裕を見せて慶応陣へ攻め込み、ゴール前で「T」に切り替えるとすぐ山下のスマッシュをぶつけて4本目のTDを奪った。
 第4Qには打つ手を欠く慶応をゴール前へ追い詰め、同学年のタックル青木喜久郎が鮮やかにセフティーを取って2点を追加。29―0と完封勝ちを収めた。


 この日の関学は中学、高校、大学の3部門すべてで甲子園ボウルに出場していた。しかし、関学中は長浜南中に0―13で敗れ、大学はご存知の通りオークス立大に14―19で屈した。この辺は近いうちにご紹介せねば、と考えている。

【写真】同大対慶大で行われた第1回甲子園ボウル=昭和22年4月13日