行事には決まりものがついて回る。2015年度の全米大学体育協会(NCAA)フットボール・ボウル・サブディビジョン(FBS=旧1部A)の開幕を前に、予想を書き、ボウルゲームのあらましを紹介してきたが、こうなると次は個人賞に触れなくてはならない。


 NCAAの記録集を見ると、そのシーズンに活躍した個々の選手の表彰記録が掲載されている。ご存知のハイズマン賞を筆頭に20前後の項目が並ぶ。
 いったい何を表彰するのか、団体競技で個人を表彰するのはどうか、などというお堅い意見もあるが、反面そのシーズン、図抜けた活躍をした選手個人を、「よくやった」とねぎらうのもありではないか、との優しい声もある。

 まあ、あま り堅苦しいことは言わないで、個人にもスポットを当てる、ぐらいの軽い気持ちで目を通していただけるとありがたい。
 で、個人賞となると、これはもうハイズマン賞を一番先に持ち出さないと、どうしようもあるまい。とにかく大学フットボールの世界で最古の賞であることは間違いない。


 始まったのは1935年。ニューヨークのダウンタウン・アスレチック・クラブが主催し、その年のミシシッピ川以東のチームの最優秀選手を選び出した。
 栄えある第1回受賞者はシカゴ大のRBジェイ・バーワンジャーだった。翌年から選手選考の範囲を全米に広げて、今日の形になっている。正式には「ハイズマン記念トロフィー」と言う。


 19世紀から20世紀にかけて、フットボールの普及に貢献した大監督ジョン・ウィリアム・ハイズマンの名を付けた賞であることはご存知の通りである。
 同監督は1869年にクリーブランドで生まれ、87―89年にはブラウン大、1890―91年はペンシルベニア大でタックルとセンターとして活躍。卒業後オバーリン大を皮切りに、オーバーン大、ジョージア工科大など八つの大学を指導した。


 8大学を監督したのは、ルー・セイバンと同数で、NCAAの最多大学監督就任記録である。同監督はフットボールのみならず、バスケットボール、野球にも精通しており、そっちの方でも幾つかの大学で監督を務めた。1936年にニューヨークで死去、66歳だった。


 さてこの賞だが、全米最優秀選手といっても、選ばれる選手に偏りができてくるのは、この競技の性質上やむを得ないことである。「縁の下の力持ち」にも光を当てて、などと力を入れる向きも時々あるが、見当違いに見えることがよくある。
 選手自体は縁の下かどうかを、とうの昔に割り切っており、スポットが当たらぬからといって、それを不満に思っている選手などは、極めて稀であろう。結局、最優秀選手が派手なポジションに集まるのは、理の当然だということをフットボールファンならば理解せねばならない。


 ハイズマン賞は昨年、2014年に80回を迎えたが、この表彰選手をポジション別に見ると話が早い。最多がRBで42人(失格1人が出て41人)。次いでQB32人。レシーバーが5人で、DBが1人となっている。
 最近ではQBの比重が増し、最近の10年間を見ると、QBは昨季のマーカス・マリオタ(オレゴン大)で5年連続8人を数えている。


 今年の候補者もQBとRBだらけである。いや、だらけではなくて、QBとRBだけである。スポーティングニューズ誌、アスロン誌、フィルスティールズ誌、最近手に入れたスポーツイラストレイテッド誌の4誌に当たってみたら、上位10人はすべてこの二つのポジションで占められていた。
 拾い上げると意外に人数は少なく、全部で17人だった。うちQBは9人、RBが8人である。昨年、一昨年はQBに有力候補がいて、そのまま自然に受賞が決まったが、今季は激戦の予感がする。


 まずQBからご紹介しよう。4誌全部が推薦しているのは、テキサスクリスチャン大(TCU)のトレボーン・ボイキン。ミシシッピ州立大のダグ・プレスコットの二人。3誌からは南加大のコディ・ケスラー、クレムソン大のデシャーン・ワトソンに、オハイオ州立大のQBトリオのうちの二人、カーデル・ジョーンズとJ・Tバーレット。
 アスロン誌とスポーツイラストレイテッド誌はオハイオ州立大のQB陣二人のうちの誰かと、二人で一人の扱いだった。面白いというか、逃げたなというか、今季ビッグ10を予想した時に、オハイオ州立大のQBトリオをご紹介したが、ハイズマン賞でコンビになるとは思っていなかった。


 このほか名が挙がっているのは、ミシガン州立大のコーナー・クック、オーバーン大のジェレミー・ジョンソン、フロリダ州立大のエバレット・ゴルソンである。
 RBはジョージア大のニック・チャブが4誌すべてから高評価を受けていた。肩を並べるようにオハイオ州立大のエゼキエル・エリオットが続く。


 3誌組も二人で、ルイジアナ州立大(LSU)のレオナード・フォーネットとアラバマ大のデルリック・ヘンリー。2誌からは一人でオクラホマ大のサマージ・ペリーン。あとオレゴン大のボイス・フリーマン、カリフォルニア大ロサンゼルス(UCLA)のポール・パーキンス、フロリダ州立大のダルビン・クックが並ぶ。


 全米フットボール記者会が投票に携わり、かつてはフットボール専門誌として日本のタッチダウン誌にも投票依頼があったのを思い出した。
 現在も変わらぬのかどうかは、また社長の後藤完夫さんに聞いておこう、と今この文章を書きながら考えている。


 当時の投票は三人連記で、1位3点、2位2点、3位1点となっていたように記憶している。今もそうかどうか。併せて確認が必要のようだ。
 偏っても仕方がないと書いたが、それでもハイズマン賞ができた11年後、フットボールを土台から支える選手たちに的を絞った賞が生まれた。ご存知、ラインの両端を除いたインテリアラインマンを対象としたジョン・アウトランド・トロフィーである。


 トロフィーにその名を残すアウトランド博士は、19世紀末から20世紀初めにかけての選手であり指導者だった。特にペンシルベニア大に在籍当時はタックルとして名を馳せた。年代は少しさかのぼるが、1937年に最優秀選手賞としてマックスウェル賞ができている。
 この最優秀選手、向こうでは「アウトスタンディング・プレーヤー」と「プレーヤー・オブ・ジ・イヤー」の二通りがある。これを忠実に訳して区別してみても、あまり意味がないので、本稿では「最優秀選手」で通すのが妥当だと思うので、ご理解いただきたい。


 こうした個人賞は、かなり長い間、この三つで推移したが、1967年になってようやく四つ目の賞が生まれた。またまた最優秀選手賞で「ウォルター・キャンプ・アワード」と名付けられた。1部Aチームの監督と体育局長の投票によるものだったが、期待されたほど目新しい結果も出なかった。
 このころからポジション別の個人賞が次々と生まれるようになった。1970年に、ライン対象の「ビンス・ロンバルディ・ロータリー・アワード」。1977年にはローカルの選手を対象として「ダベイ・オブライエン記念トロフィー」というのが、南西リーグ(テキサス、アーカンソー両州)にできたが、1981年には全米のQBを対象に「ダベイ・オブライエン・ナショナルQBアワード」と衣替えしてしまった。


 80年代にも三つ個人賞が増えた。LB対象の「ディック・バトカス・アワード」が1985年に誕生。翌86年には対象をDBに絞った「ジム・ソープ・アワード」。87年にはまたもQBのための「ジョニー・ユナイタス黄金の腕アワード」ができた。
 対象を4年生に絞ったのがユニークだった。投票者もプロの関係者や記者で、プロとカレッジの結びつきを物語る賞でもあった。


 90年代に入ると初めてRBへの賞が生まれた。1990年の「ドク・ウォーカー全米RBアワード」である。対象は3、4年生。結構資格が厳しく、フィールドでは無論のこと、教室でも、地域社会でも模範となる人物であること、という条件が付いている。
 またスポンサーはこの受賞者の名前で、出身校へ1万ドルの奨学金を寄付することにもなっている。もっとも参考にしているNCAA記録集が、2002年当時のものなので、この寄付金、現在はもっと高額かもしれない。


 92年にはキッカーへの賞ができた。「ルー・グローザPKアワード」という。93年はいたって大まかに守備の選手を対象にした「ブロンコ・ナガースキ・アワード」。
94年にはレシーバー対象の「フレッド・ビレトニコフ・レシーバー・アワード」。95年にはまたも守備選手を対象に「チャック・ベドナリック・アワード」ができた。
 このほか1997年に南加大などで鳴らしたハワイ出身の名選手モシ・タトゥープの名を付けた「スペシャルチーム・アワード」というのがあったが、現在は見当たらない。


 20世紀最後の年、2000年にはパンター対象の「レイ・ガイ・パンティング・アワード」、TE対象の「ジョン・マッケーTEアワード」、そしてセンター対象の「デーブ・リミントン・センター・トロフィー」と三つの賞が登場した。
 このうちの「センター・トロフィー」は1部Aが対象で、「センター・アワード」が1部AAと、両者が単語で区別されているのは面白い。


 2002年は「テッド・ヘンドリクスDEアワード」とDE向けの表彰ができ、2004年は「ロット“インパクト”トロフィー」と守備選手向けの賞が続いた。
 ポジションとは関係なく、多才で機転の利く選手対象に「ポール・ホーナング・アワード」というのが2010年に登場したかと思うと、パント、キックオフの両リターナーを対象に「ジョニー“ジェット”ロジャーズ・アワード」いうのが2011年に生まれた。最新は2013年にできた「ディズニー・スピリット・アワード」で、最も感動を与えた選手に贈られることになっている。


 これらの賞はペナントレースが大詰めを迎えるころから、逐次発表されるが、これを間違いなく拾い上げるのは、結構至難の技である。この時期はほかに優勝の行方とか、ボウルゲームの組み合わせとかに注意が注がれてしまうからである。
 一つも落とさずお伝えできるかどうかは、はなはだ疑問、と今からお断りを入れておく。ただデーブ・リミントン・センター・トロフィーだけは、忘れずに拾い上げねばと、かつてのセンターは固く心に誓うのであった。

【写真】2012年シーズン、史上初めて1年生でハイズマン賞に輝いたテキサス農工大QBジョニー・マンゼル(AP=共同)