何を弱音を吐くか、と言われたらそれまでだが、長年通信社のスポーツ部門で生きてきた人間にとって、何が難しいかと尋ねられると、外国語の、とりわけ固有名詞の仮名文字表記ぐらい面倒なものはない、と答えたくなるのが普通である。うっかり調子に乗ってニックネームの話など始めると途端にこの超難問にぶつかるのである。


 昔、フットボール専門誌として発刊された「タッチダウン」誌の編集に付き合っていたとき、編集長の後藤完夫さんから「また来ましたが、どうします」と何度も相談されたことがある。
 当時、NFLの記事の多くは、関学フットボール部のOBで、私の2年上で日系二世の牧田隆さんからの寄稿が一つの売りだった。ユーモアの利いたおしゃれな文章は今では本当に懐かしいものとなった。その牧田さんが唯一訂正を迫られた言葉があった。


 ロサンゼルスの表記である。「君たちは、カタカナ表記は現地発音に従うというが、ロサンゼルスは明らかに原則違反である。ロスエンジェルスに変更することを要求する」
 共同通信社発行の「記者ハンドブック」という本があって、私は、そしてタッチダウン誌はこのハンドブックを杖とも柱とも頼んで作業をしていた。そこには外国の固有名詞などの表記についてきちんとルールが書いてある。
 しかし、さらに以前からの有名人や大都会名などほとんど日本語になっているものは、いまさら変更しない、という了解ができていた。


 牧田さんには何度もこうした通信社の立場や慣習について説明したが、「変更は今からでも遅くない」と、最後まで私どもの意見は受け入れていただけなかったのを覚えている。
 もっとも、知らぬということは反面、怖いものがないということでもある。「TURNOVER」へもこうしたご指摘はたくさんいただいているが、変更の必要なものは結構迅速に対応しているので、今後ともよろしくお願いしたい。


 がらりと話題を変える。過日、母校関西学院創立125周年記念の、米国アイビーリーグの名門プリンストン大を招いて行われた「レガシーボウル」観戦で、西下した。
 試合前の腹ごしらえで、4年先輩の元関西協会専務理事古川明さんにごちそうになったとき、たまたまその後任を務めた徳岡彰さんと席が隣り合わせになった。前回のニックネームの話をしたら、徳岡さんがヒョイと、「関大体育会がカイザーズに統一してますな」と、おっしゃった。驚きで椅子から尻が浮いた。


 「え、いつ? いつやったんでしょう。詳しくは知りません。わりかた最近のことでっせ」。「統一したのはなんで?」「なんででしょうなあ」。だったら、日本初ではないか。徳岡さんは身を乗り出した私をよそに、「立命の体育会がパンサーズに変えたというのも聞いてまへんし。ほかのもちょっと分かりまへんな」と、淡々と話された。
 同席の方々は静かに箸を動かしている。色めき立っているのはどうやら私だけのようだ。これは調べなくては。まず事実かどうか。日本初かどうか。プリンストンとの試合とは別に、私は新たな宿題を課せられた少年に戻った。


 夜遅く帰宅して、パソコンのふたを開けた。事実であった。関西大学の体育会を開くと、そのいきさつが簡単に述べられていた。要するにカイザーはドイツ、オーストリアの皇帝。古代ローマの統治者ユリウス・カエサル、英語読みではシーザーを語源とする呼称である。
 そして応援歌の一部に使われているカイザーを、統一ニックネームに採用することに決めたのだそうだ。


 確かめてみる。5行の歌詞の5行目に「カイザー関大 光あり」とある。これが1番で、2番は「カイザー関大 力あり」と締めている。11年前の2004年4月。横向きの古代ローマの将軍をかたどったロゴと同時に決めたそうだ。


 そういえば当時、フットボールチームのニックネーム「イーグルス」を「カイザーズ」に変更すると、かなり念入りに宣伝されていたのを思い出した。
 結構強そうなネーミングだったのに、どうして変更するのかな、とこのとき思ったが、体育会全体で変更するのならこれはもう仕方のない話である。ちなみに校旗とかユニフォームとかに使われる関大の「スクールカラー」は、ふた昔前の大正13年1月以来ブルー(紫紺)である。


 ただしどうして統一しようと話を決めたのかは、ここだけではあまりよく分からない。またこのへんの詳しい事情は元理事長の羽間平安さんにうかがってみようと思う。
 本来は昨年の秋、関学の上ヶ原キャンパスの体育会の掲示板に張ってあった「ファイターズに統一しよう」というポスターが、その後どうなったのかを探るつもりで持ち出した話題だった。しかし、徳岡さんの返事のおかげで、私はもうそれどころではなくなった。


 このあと、ポスターの顛末をしかるべき学院内のOBやら、関係者やらに、それとなく探りを入れてみたが、そもそもそのようなポスターがあったことに、気が付いていたOBは皆無であった。もちろん現在掲示板に、そのようなポスターなどは影も形もない。


 カイザーズ以外に統一ニックネームを持つ体育会があるのかどうかは、調査の網は張っておくものの、まずないと言い切ってもいいのではるまいか。関西にはもうないだろうし、東でも聞いたことはない。
ニックネームを変えるということが手がかりになることが今回判明したのは収穫だが、現在そのケースはなさそうである。
 早稲田の「ビッグベアーズ」などは創立者の名をもじってユーモラスだとは思っているが、ラグビー、サッカー、陸上競技でそれに追随したという話は聞かない。


 米国に話を切り替える。全米大学体育協会(NCAA)翼下の各大学がそれぞれ固有のニックネームを持ち、それも体育局が学内の全競技を一つのニックネームにまとめているのだ、という話を前回した。
 今回の催しで来日したプリンストン大は「タイガース」のニックネームを持つ。トラは「人気」が高くボウル・サブディビジョン(FBS=旧1部A)の中でもルイジアナ州立大(LSU)をはじめかなりの大学がこの名をつけている。人気ナンバーワンと言えるかもしれない。


 ついでにスクールカラーはオレンジと黒。ホーム用のジャージーが有名で腕にオレンジの地に黒の縞を入れてトラを表わしている。今回はビジター用の白を着ていたので、トラ縞を見ることはできなかった。


 大学フットボール発祥の栄誉をプリンストン大とともに分かち合っているのがラトガーズ大である。このあたりは多くの方がご承知であろう。
 ともにニュージャージー州にキャンパスがある大学で、ゴムボールをけり合った1869年の最初のフットボール試合は、いわば同州の王者決定戦的な趣があった。内容は現在のフットボールとは全く違い、サッカーそのものだった。

 
 プリンストン大は有名私立校として知られ、アイビーリーグの一員。一方ラトガーズ大は紛れもなく州立の総合大学。ちなみに各州にはその州を代表する州名の付いた州立の総合大学が存在する。
 ミシガン大、アラバマ大、テキサス大といった諸校がそれだが、ニュージャージー州に限っては州名そのものを付けた総合大学はなく、このラトガーズ大がその役割を担っている。なおニックネームはスカーレットナイツ。つまり「紅の騎士」と格好がいい。


 東部の有名八大学が集まるアイビーは、プリンストン大以外も今後追々紹介したい。その中で最も注目したいのが、エール大である。ニックネームを二つ持っているが、一つは平凡に「ブルドッグズ」。もう一つが今回話題にするニックネームだ。イーリスという。
 ギリシャ西部の古代国家名で、この国のオリンピア平原であの古代オリンピック大会が開かれていたことで知られている。今日でも同名の都市がある。


 同校のスポーツ発展への貢献を自負するネーミングだと受け取るのが普通だろう。キザと言えばそうかもしれないが、ちょっとした機智も感じられる。


 さ、ここで本稿冒頭の発音表記の話が絡んでくる。あっさり英語発音の「イーリス」としたが、オリンピック発祥の地の表現だ。これで終わりとは、とてもいくまい。現に、普通の地図、歴史地図ともに固有名詞は「エリス」である。
 世界史の本でも恐らく同じだろう。念のためつづりを書いておく。「Elis]である。往々にして日本の翻訳ものでは、あまり確かめもしないで、ローマ字読みに近い表現をすることがあるので油断はならないが、このケースはさすがにそのような例には当てはまるまい。


 ニックネームは言われる方の意向も大事である。エール大内で発音してもらえば、これはもう「イーリス」だろう。しかし日本人が世界史をひも解いた際の読みである「エリス」もまた無視はできない。
 ギリシャの現地発音がどちらなのかも、一度は確認する必要はあろう。この爺さん、面倒なことを思いっきり語って、楽しんでいる気配がある。しかし、このままこの稿を閉じると、卑怯である。「どっちを取るのか」と尋ねられれば、苦吟の末こう返事をしたい。「エリス」かなあ。

【写真】「カイザー」のロゴが貼られた関大のヘルメット=写真提供・山口雅弘