関学OB会からのメールに、私の4年先輩の方の訃報が入っていた。感慨にふけった。1953年のご卒業で鈴木博久さんといわれる。俊足のHB、今でいうRBだった。
 出身は池田高校。戦後、米軍政部民間情報局のピーター岡田さんの指導で、タッチフットボールが始まったが、その発祥が池田、豊中、奈良の三中学だった。
 このとき鈴木さんは池田中の4年生。メンバー表があればいいのだが、手元にはないのが残念である。旧制中学(5年制)では上級生だったわけで、まず間違いなくオリジナルメンバーの一人だろう。


 池田中は1947年(昭和22年)4月13日、第1回甲子園ボウルでの中学タッチフットボール大会に豊中中とともに出場した。0―14で敗れたものの、日本のフットボール史上の貴重な第一歩を記している。
 この試合に鈴木さんが出ておられたかどうかは、断定できないが、中学4年生ならまず間違いあるまい。それに当時、鈴木さんは豊中の徳永義雄さん、奈良の高橋治男さんと並んで快足を謳われたRBだった、今だったら「三中学の三羽烏」といったキャッチフレーズを付けられて、大々的にあおり立てられていただろう。


 48年元日に行われた第2回甲子園ボウルでも、中学を招いて試合が行われ、奈良中が豊中中を6―0で下した。ありがたいことに毎日新聞にはメンバーが載っており、奈良中のRH(右のハーフバック)に高橋さん、豊中中のFBに徳永さんと、RE(右のエンド)に今井信吉さんの名を見る。


 この年の4月には旧制中学は高校に変わり、49年1月9日の第3回甲子園ボウルでは、東西高校タッチフットボール王座決定戦が、前座試合として開かれた。西の代表として出場した池田高は、東の代表麻布高を27―6で破り、初代の高校のチャンピオンとなった。高校3年の鈴木さんは無論、FBとして先発している。


 余談だが(得意の?)ここに名を挙げた方々はすべて、関学へ進まれた方ばかりである。この当時、選手の補強こそ「飛躍」への第一歩と考えた大学のリーダーの方々は、このタッチフットボールの「金の卵」たちを、関学の高校、もしくは大学の予科へ呼び寄せたのである。
 当時の主将、松本庄逸さんを中心としたチームのまとまりはよく、米田満さんの同期でマネジャーの橘高紀雄さんが各校、各選手の家庭まで訪ねて回り、こうした人々の関学への入学を勧めて回ったといわれる。


 効果は抜群だった。 49年12月18日の第4回甲子園ボウルで、初出場を果たした関学は慶大に25―7と快勝した。
 毎日新聞社発行の「甲子園ボウル50年史」にそのメンバー表があるが、11人の先発メンバーの内、LTに尾田升さん、LGに古川明さん、LHに徳永さん、RHに鈴木さん、FBに高橋さんの5人。控えにはLE今井さん、QB藤井浩月さん、LH段中貞三さんら。1年生合計8人の名が並ぶ。いずれもオリジナル三校の出身者であることは言うまでもない。


 みな私にとっては、懐かしくてたまらぬ方々だが、これに触れて語り出すと、話がとんでもない方向へそれるので、鈴木さんに話を戻す。


 ま、こうした歴史的な業績を持っておられた方だが、私たちはこの「金の卵」の方たちと、多かれ少なかれ、フィールドでは「練習させて」いただいた。
 何回か前のスナップの話の時に、シングルウイングのスナップを手伝った話をしたが、実はこのとき一番気を使ったのが、鈴木さんだった。いわゆる名人気質と言おうか、リードボールをピタリと要求通りの場所へ投げることを、もっとも厳しく求められた方だった。自慢になってしまうが、私はただの一度も嫌な顔をされたことはない。


 鈴木さんは主にLHである。右エンドランのリードボールのむずかしさは右利きのスナッパーならだれもが知っている。それでも間違えたら、と私は一生懸命だった。
 決してわざとらしくは褒めない方だっただけに、スタート地点へ戻ってこられるその表情から、満足しておられるのが、ちゃんと伝わってきたのを思い出す。


 私たちはこの先輩方をよくあだ名で呼んだ。私たちの同期のQB鈴木智之さんは俊敏だったので、ネズミにたとえて「チュウ」と呼んでいた。後輩の方々も「さん」付けで「チュウさん」と呼んでいる。
 この先輩の方の鈴木さんも、私たちの記憶では「チュウさん」だった。同期のQBの鈴木さんは2代目である、と思って古い機関誌「FIGHT ON」の第1号をひも解くと、「チュウさん」は44年(昭和19年)卒の中谷一明さんとおっしゃる方で、私たちが「チュウさん」と呼んでいた方は「タラヤン」という聞いたことのないあだ名が付いていた。


 あだ名。またはニックネーム。字引によると、「あざけりの意味や愛称としてつける。異名」とある。かつては(古い話になるが)プロ野球で見るぐらいで、現在のようにプロ、アマを問わず何にでもつけるわけではなかった。もちろんあざけりの意味ではなく、愛称としてつけられるのである。


 半年ほど前、所用で関学の上ヶ原キャンパスへ出かけた。出来る限り機会をつくって、年に一度の散策を試みているが、やはり母校は…という気分になる。消費組合で三日月のロゴがついた小物を買ったり、日陰のベンチでコーヒー牛乳を飲んだりしながら、のんびりとこの貴重な半日を楽しむ。
 方々の掲示板に「選手募集」だとか「堂々の初優勝」とかいう張り紙がしてある。その中に思いもかけぬアピールを試みているポスターがあったのには驚いた。「よもや」とも思った。


 ポスターにはこうあった。「ファイターズに統一しよう」。張ってあった場所は体育会の掲示板である。何が言いたいのかはすぐにピンときた。要するにアメリカンフットボール部が使っている「ファイターズ」というニックネームを、体育会全部で使おうではないか。関学のニックネームにしようではないか。という誠に思い切ったご提案なのである。
 しかし、どの部の方がこうした思い切った提案をなさったのか。こうした掲示板というのは、だれかれなくポスターを張れるものではない。それなりにきちんとしたルートで掲示されたものだと思う。


 そりゃアメリカンのOBとしては、こんなありがたい申し出はない。かなり勇気のいる発言でもあるだけに、頭の下がる思いもした。
 しかし、そんなに簡単に事が運ぶとは思っていないし、同時にアメリカン自体が、そこまで押しつけがましく発言することなど、ありえない話でもある。
 この件、その後どうなったか。シーズンの深まりとともに、それどころではなくなってきたのもあって、しかるべき筋には何も尋ねないまま、現在に至っている。春シーズンには何度か関西へ行く計画なので、そのうちにちゃんと聞いておきたいと思っている。


 さてニックネームだが、これは間違いなく欧米からの輸入品である。大リーグでのそれが、日本のプロ野球にも直輸入され、やがてはニックネームに対する認識が確かなものとなっていった。間違いなく歓迎された習わしである。


 サッカーのJリーグのニックネームなども、もはやすっかりおなじみである。アメリカンフットボールも結構早い時期から、まず大学で自らのニックネームを付けはじめた。
 米国のカレッジフットボールに倣ってのニックネームは、社会人にもあっという間に広がった。その「カッコ良さ」から高校も付ける。親しみを深める道具ともいえる。


 でも、米国のそれもカレッジのニックネームのありようと、日本のそれとが、かなり食い違っていることぐらいは、知っておいていただきたいと、常々思っている。もうご存知の方も多いと思う。実はこの稿は、前回までの組織学の続き(のようなもの)として、ご紹介している。


 つまり、カレッジフットボールの記事の中に出てくるニックネームは、実はフットボールチームだけのものではないということ。その大学のスポーツ各部すべてのものだ、ということなのである。
 別の角度から見るとニックネームは、大学のスポーツ各部を統括する体育会に帰属する、とも言えるのではあるまいか。


 この次あたりに米国の各大学が「名乗って」いるニックネームを紹介するつもりだが、その前に向こうの仕組みだけは、知っていただこうと考えたわけである。例えば今年の王者オハイオ州立大は、オハイオ州の州を代表する樹木の、栃の木をニックネームにして「バッカイズ」と呼んでいるのはご承知の通り。
 これはフットボールだけではなく、バスケットボール、野球、サッカー、テニス、ゴルフ等々、オハイオ州立大の全部の部、さらにその部員に付けられたニックネームだという認識は、くどいがぜひ持ってもらいたいと願っている。

【写真】全米選手権を制したオハイオ州立大(AP=共同)