米国のフットボールの組織学などと、偉そうな見出しをつけて語り継いでしきたが、正直言って、この手の話を系統立てて勉強したわけでもなんでもない。
 スポーツ記者として、転勤で東西を何度か往復しているうちに、西では関学の武田建監督の経験談、東では書店に潤沢にある洋書を糧として、少しずつ知識を増やしていっただけのことにすぎない。

 
 つまり、向こうの、特に雑誌から仕入れた知識の不明確な部分を武田さんに解説してもらって、スポーツ記者としての「常識」に変えていったのである。その意味でありがたい先輩に恵まれたと思う。
 例えば本場のチームが来日する。この当時、武田さんは関学の指導者として、顔見知りの来日チームの監督やコーチによく会いに行った。ほかでもない。自らが直面する疑問点、問題点を尋ね、回答を求めるためにだ。その意味では勉強熱心な方だった。


 話を戻す。私はこうしたとき、よく同行させてもらった。そして話の切れ目を見計らっては、武田さんから質問をしてもらった。「独立校をやめて、なぜこちらの太平洋岸のリーグを選んだのか。
 地域的にはロッキー山脈のリーグだろうと思うが」などと尋ねてもらうと、向こうからは「太平洋岸の方がバスケットボールのレベルが高い。うちはバスケットボールがいいのでね」といった答えが返ってきたものだ。


 考えさせられたのはマイク・ギディングズさんへ、こんな質問をしたときだ。「あなたが関わったNFLのベストゲームは?」。返答は私が予測していた試合とは似ても似つかぬワンサイドゲームだった。
 「どうしてですか? 私は××との試合だと思ったが」。マイクさんはこともなげに、こう言われた。「得点は思い通りに入ったし、守りは完璧だった。あなたの言う試合は、観衆にとっては満足できた試合だろうが、私たちにはハードだった」
 質問が甘かった。万人向きの「ベストゲーム」と監督、コーチにとっての「ベストゲーム」はおのずと異なる。立場によっては表と裏だ。スポーツ記者のイロハを教えてもらったような気がしたものだった。


 もっとも、私と武田さんとのこの関係を「先輩を通訳としてこき使ったな」とそしられたら、ぐうの音も出ない。まさしくその通りで、武田さんにはどれだけ感謝しても、感謝し切れない。いわば、この当時の私たちの部の在り方、空気がどうだったのかを、具体的に示す話として、そしてその空気を卒業後もそのまま保っていたサンプルとして、読み取っていただければありがたい。
 ま、こんな調子で武田さんと連れ立って歩いているうちに、いつの間にか本場米国のいろいろな仕組みを学んでいった、という方が正確である。


 まず、リーグのありようが、わが国と米国では全く異なっていた。これが分かったのが、大きな収穫だった。
 アイビーであれ、ビッグ10であれ、ACCであれ「フットボール1競技だけ」の組織ではないということだ。ここを理解できるかどうかが、ポイントだった。この辺を明瞭に認識しないと、米国の大学スポーツは始まらないことになっている。


 では、どのような組織なのか? これもこれまでに何度か書いてきた。ビッグ10ならビッグ10を構成する各大学それぞれの全スポーツ、フットボールのほかにもバスケットボールがあるし、野球もある。陸上競技があれば、水泳がある、といったように、加盟校全部のリーグ戦、対校戦がビッグ10の名のもとに行われるのだ。
 少し角度を変える。各大学の体育会の集まりそのものが、ビッグ10カンファレンスを形成しているのである。


 手元にアリゾナ州立大のイヤーブックがある。四十数年前、プロ野球記者だったころ、ロッテ・オリオンズ(現マリーンズ)のアリゾナキャンプを帯同取材した。このときに、アリゾナ州立大フットボールの新人コーチ、ビル・カジカワさんと面識を得た。私がフットボール出身と知ると、フットボール関連のさまざまな便宜を図ってくださった。
 アリゾナ州立大は「サンデビルズ」というニックネームを持っているが、その名をつけたサンデビル・スタジアムを案内していただいたのをはじめ、さまざまなフットボールの話を、考え方を山のようにしてくださったのを思い出す。


 このときにいただいたイヤーブックというわけである。2冊ある。時期は春。フットボールの方はオフに入り、いただいたイヤーブックも1970年版だった。もう1冊は、1971年春の競技分。野球を筆頭にトラック、ゴルフ、テニスと続く。
 この各競技のイヤーブックはこのあと秋、冬の分が続くのだそうで「まだできていないので」渡せない、とおっしゃった。現物を見ていないので何とも言えないが、冬競技といってもバスケットボールなどは恐らく単独のイヤーブックだろうと推測はつく。


 現在アリゾナ州立大はれっきとした太平洋12大学のメンバーだが、当時は西部体育連盟(WAC)という中堅クラスのリーグの一員だった。
 構成メンバーは北からユタ大、ブリガムヤング大。南へ下がってアリゾナ大とアリゾナ州立大。再び北へ戻ってワイオミング大。一つ南へ下ってコロラド州立大とデンバー大。もう一つ南がニューメキシコ大。最後がニューメキシコ州と隣国メキシコの間に、くさびを打ち込むようにテキサス州が伸びてその先端にテキサス大エルパソ。全部で9校のリーグだった。


 イヤーブックの裏にはこの9校の簡単な地図がある。現在の山岳西部連盟(MWC)の山岳地区の前身ともいえるグループである。
 WACはこうしてフットボール、バスケットボールのほか多くの競技をシーズンに応じて主催し、後援し、バックアップした。つまり、他の組織もすべて同じ。これがカンファレンスでありリーグなのである。


 あまり蒸し返したくない話だが、45年前の関東の5リーグ分裂当時、今こそ米国の仕組みに倣って固定したリーグをつくるという意見が一部有力校OBの間で盛り上がっていた。
 これまで述べてきた米国の組織のありようをそのまま引き写し1部、2部をなくし6校なら6校の、8校なら8校の固定リーグを実現しようという話が持ち上がっていたのである。


 しかし、本当にその可能性はあったのだろうか。こうした構想を語ってくださった方は、再三「米国と同じ形のリーグを結成したい」と力説しておられた。新聞記者としての私が、向こうの組織のありようを知っているところから、共感を求めてこられたのではあるまいか。話は伺ったものの、私は質問の言葉をそのまま呑みこんだ。


 恐らくそうした動きが始まったとしても、ほかの競技をどうするのか。その競技が組織からどのように抜け出すのか。一筋縄ではいかない難問が次から次へと出てきて、収拾がつかなくなることが見えていた。もう少し具体的に書いた方が分かりやすいかもしれない。
 例えば東西の数多い学生スポーツの中で、唯一固定リーグを結成して春秋のリーグ戦を行う団体がある。東京六大学野球リーグである。
 1、2部制はないので、当然入れ替え戦もない。加盟校は早慶明法立東の6校である。ほかの競技もこの6校でまとまっていれば、これはもう米国式の連盟の誕生である。


 しかしサッカーが、バスケットボールが、ホッケーが、ハンドボールが、バレーボールが、剣道が、柔道が、卓球が、庭球が、ゴルフが野球同様の6校だけのリーグを目指しているという話は聞いたことがない。
 あの時、アメリカンフットボールでは6校が一つにまとまって見せたが、フットボールに続こうとする競技や、後を継ごうという組織も見当たらなかった。
 米国風の、各校の体育会を集めたカンファレンスという組織は、わが国のスポーツ界には無縁の存在かもしれない。

【写真】アリゾナ州立大の新人コーチを務めたビル・カジカワ氏=写真提供:丹生恭治