昔は(すっかり決まり文句になってしまった)といっても終戦のころから1950年代後半あたりだが、私たちは芝生の上で試合をするのが理想だった。確かにもののない時代だった。スポーツどころではない、芝生どころではない、というのが現実だった。


 もちろん芝生のフィールドは皆無というわけではない。関西では以前書いたが、西宮球技場は芝生が敷き詰められていた。近鉄沿線の花園ラグビー場は関西随一といわれる見事な芝のグラウンドだった。
 それにフットボールには関係ないと言えばそれまでだが、野球場には芝が張ってあった。そのうちの一つ甲子園球場の外野の芝の上で甲子園ボウルが始まった。東でも神宮競技場のフィールドは芝がきれいに張ってあったし、秩父宮ラグビー場の芝は花園に勝るとも劣らぬ美しさだった。


 そして、私が大学を出るころから、ここに一つ、あそこに一つと、新たに芝張りの競技場が増え始めた。もちろんそのほとんどは陸上競技場だった。国民体育大会という催しが、都道府県持ち回りで開かれるようになって、新たな競技場建設の流れを加速させた。
 どこも国際規格に準じたトラックとフィールドを持ち、そして何十年に一度の大観衆を収容できる巨大な観客席を併せ持っていた。


 球技をする者にとっては形はどうであれ、芝が張られたスペースがあれば、それだけでも満足だった。陸上競技場のフィールドのスペースをありがたく拝借し、思い切ったプレーに励んだ。
 地面に体を打ちつけても痛くないフィールド。ひじや目の横にビフテキのような擦り傷を作らずに済む芝草に覆われたフィールド。私どもの夢はこうして一つ一つ果たされていった。


 しかし、人の欲には限りがない。芝張りのフィールドが増えていくにつれ、フィールドと観客席の間に横たわるあの陸上競技のトラックが次第に邪魔になってきた。邪魔というより、われわれの視線からプレーを、プレーの細部を遠ざけてしまうトラックはいらないと感じられた方はさぞ多いことだろう。
 遠くなる上に、フィールドに対する浅い角度も、同時に不満だった。陸上競技場ではこのトラックのほかに、走り幅跳びや棒高跳びのピット(砂場)が観客席との間に設けられている。さらに遠いのだ。


 つまりトラックはなくていい、というより球技を見る上ではない方がいいのである。ラグビーは戦前から独自のフィールドを東西に持っていた。そしてサッカーはサッカーに適したフィールドを、このころから次々に持ち始めた。
 とりわけ日本リーグ発足後や、ワールドカップ開催決定後、大きくてトラックのないスタジアムが、各地に堂々と姿を現した。フットボールだって欲しい。トラックのない、観客席が間近にフィールドに接した、一面に芝生が敷き詰められた、そんなスタジアムがあってもいいではないか。


 鉄骨の観客席とはいえ、東のアミノバイタルや、西のEXPOといった競技場はこうした意味では理想的なフィールドである。これを確保するための、東西両協会の尽力は多とせねばなるまい。関西では王子という会場もあるが、こちらは逆にトラックに囲まれたフィールドが「見るには遠いな」といつも思う。


 こうして述べてきたことは、決して陸上競技に文句をつけているのではない。陸上競技のスタジアムがトラックから、ピットから、必要なものをすべて備えておかねばならないのは当然のことである。
 一方球技から見れば、そうしたものは一切不要である。つまり、もうそろそろ借家生活を精算したほうがいいのではないか、と提案したい。
 陸上や球技がそれぞれ自分のための、専門スタジアムを持つ時代が来ているのではないかと思う。もっとも言うのは簡単である。理想を現実化するためには膨大なエネルギーが必要なことは言うまでもない。


 日本でのサッカー熱が高まり、メキシコでは2度目のワールドカップが開かれた1986年、日本でもその大会を紹介するグラフ雑誌が発売された。
 運動部のデスクの上にその雑誌が置いてあった。パラパラっとめくっていて、前回書いた米国のバリアフリーのスタジアムに対したとき以上の、カルチャーショックを受けたことを今思い出している。


 会場の写真が載っていた。全部で12あった。ショックを受けたのはトラックを備えているスタジアムが二つだけだったことだ。あとの10はすべて球技専門の会場だった。ワールドカップ開催の条件として、確か5万人を収容できる観客席の規模が求められていたように思う。
 その大きなスタジアムが10もトラックなしの「入れ物」だったことに、メキシコのスポーツに対する理解度の深さが感じられた。同時にこの当時、トラック付きのスタジアムばかりだったわが国の、スポーツに対する「後進性」、理解度の浅さを強く感じた。カルチャーショックの中身というのは、ざっとこのようなものだった。


 誤解のないように付け加えておく。2002年に韓国と共同でワールドカップを開催した日本は、このときに多くの純粋の、つまりトラック抜きの球技場をそろえていた。やればできるが、こうした世界的な刺激がない限り、球技関係者や球技ファンの声をどこまで酌み上げることができるか、まだまだ疑問は残る。
 次のオリンピックに向けて、新しいものをつくるのだと、カッコのいいスタジアムの図をよく見る。それを目にするたびに、かつての同僚だったサッカー担当の記者から聞いた話を思い出す。


 以前の国立競技場にはいろんな国のサッカーチームがやってきた。「寂しいよ」と彼は言った。「競技場へ案内し、一通り見て回ったあと、多くのチームの関係者は必ず言うんだ。これ本当に国立競技場か」と。「がらんとしたロッカールームが信じられないのだそうだ。マッサージ用のベッド一つないのが」
 古い話で、その後何らフォローをしていないので、そんなことはもうありませんと、叱られるかもしれない。それならこうした声が届いたわけだから、言うことはない。失礼した、と謝らねばなるまい。


 1990年代だと思うが、ウクライナの棒高跳び選手、セルゲイ・ブブカが次々と世界記録を更新していたころ、初めて6メートルを超えたときの競技場の写真を見たことがある。パリだったような気がする。
 ポールを手にするブブカのバックには何もなかった。観客席のほとんどない、平らな競技場だった。陸上競技は規格に合ったトラック、フィールド、そしてピットがあれば十分。この写真はそう語っていた。

【写真】ドイツとの国際親善試合でメインスタンドがお披露目される川崎富士見球技場