「後楽園競輪場、それ何ですか?」と、知り合いのフットボールファンに不審がられて一週間。せっかく上空からの写真を使っていただきながら、半世紀も昔の話ではやむを得ない。
 知らないものは知らないのである。何人かの古いOBがポツリと「そういえば聞いたことがありましたな。試合はしていませんが」。結局私一人で盛り上がっていたことになる。だが、原稿の末尾で触れた通り、本当に書きたいのはこんな昔話ではない。


 二つある。一つはスロープである。もう一つはトラックということになろうか。
 三十数年前、プロ野球担当だった私の受け持ちは、ロッテだった。ロッテは1970年(昭和45年)にパリーグ優勝を遂げたが、この年を限りに名物オーナー永田雅一さんが身を引き、提携先のロッテが中村長芳さんをオーナーに、単独経営へ乗り出した。
 その1年目の春のキャンプがアリゾナ行きだったのである。担当記者としてこのアリゾナキャンプに同行できたのは、実に幸運だった。


 キャンプは日本でやろうが、米国でやろうが、中味にそれほどの違いはない。せいぜい気候の違い、食い物の違いだろう。大リーグの練習に組み込まれたのならともかく、日本のチームが日本風のやり方で、開幕のスケジュールに合わせて練習する以上、キャンプの場所は関係なかった。


 確かにキャンプの期間は日本が2月からなのに対して、大リーグなどは1か月ほど遅く始まる。個々それぞれのトレーニングに重点を置いて練習していたかと思うと、すぐさま紅白戦が始まり、オープン戦が行われて、あっという間にペナントレースに突入していった。
 練習の中身もだいぶ違うように見えたが、私自身はこのあたりに、あまり興味がなかったことを白状しておこう。
 最も違うのは練習環境らしかったが、これも日本の選手自身が、あまり積極的ではなかったし、それだけに記者の方でも興味の持ちようがなかったのは確かである。


 私は練習環境の、それもいたるところから垣間見える、フットボールと共通するものに、興味をそそられていた。特に球場である。アリゾナキャンプの場所はアリゾナの州都フェニックスから南東へおよそ80キロ、カサグランデという町の西のはずれにあった。サンフランシスコ・ジャイアンツのストーンハム・オーナー所有の土地、建物といった方が正確かもしれない。


 国道8号線が10号線につながる少し手前にホテルが建ち、その周辺に野球場があり、ゴルフ場があった。かなりよく手入れがされ、整地されている平らな場所があったので、これは何か? と聞くと、「滑走路だ」という返事が返ってきて、びっくりしたのを覚えている。
 事実、小じゃれた小型機でストーンハムさんがゴルフをしに来たのを一度見ているので、納得できたが、スケールの違う話であった。


 しかし、こうしたわずかな設備を除いては、真っ直ぐの道路と荒れ地のほかに見るべきものは何もない場所だった。風の強い日には、車が巻き上げる土埃があちこちで竜巻のように立ち上っていた。
 情景描写はさておき、紅白戦や大リーグとのオープン戦の時期を迎えた。いつも練習に使っている小さな球場の出番となった。木造のスタンドは1000人も入れば満員だろう。


 それでもこの日は朝から華やいでいた。キャンプ初日からここのホテルでの生活に終始し、いい加減退屈していた記者諸氏も、朝から用もないのにウロウロした。そのウロウロで、私はハッとするものに行き当たった。
 木造スタンドの入り口に設置されている、それまで全く気にも留めなかったものが、目に映った。スタンドへ入るために取り付けられている、がっちりとしたスロープだった。


 スタンド中央の通路。それと同じ高さの広いスペースが、車いす用の観客席。日本でもよく見かけた。しかし、入り口を通ってそこへ至る道筋を、それまで私は一度も意識したことがなかった。
 車いす席に陣取る人たちは、誰かの手助けでその場所に来ているものだと、勝手に思っていた。だが、こうした頑丈なスロープがあれば、一人で席に着き試合を楽しむことができる。誰の助けを借りる必要もない。


 日本ではこのころ、体の不自由な方の社会参加が、ようやく語られ始めていた。バリアフリーという言葉が、ぼつぼつ一人歩きしようか、という時代だったように思う。
 アリゾナの小さな「田舎町」のちっぽけな野球場に、日本のはるか向こうを着実に歩む姿を、私はこの日はっきりと見た。


 キャンプの後、ロサンゼルスとサンフランシスコを回って出張は終わりになった。ここで以前書いたが、フットボールシーズンの終わりを教えてくれたお姉さんに出会った。
 私の興味はもはや、ドジャー・スタジアムやキャンドルスティック・パークが、果たしてバリアフリーなのかどうかとの一点に絞られていた。そう、期待は裏切られなかった。
 この後、いろいろな形で米国へ出かけた。その都度フットボール、ベースボールの区別なくその容れ物を点検した。どこも「バリアフリー」であった。スーパードームにいたっては、階段はなく、全部が幅の広いスロープだった。


 翻ってその後の日本は? アリゾナから帰ってから私はスタジアムのこうした点がいつも気になっている。大きなスロープを持った横浜スタジアムを除けば、みんな同じようなものである。
 こんなとき、私は昔の西宮球場を思い出す。戦前のプロ野球草創期、阪神のタイガースに対し、阪急ではブレーブスを立ち上げた。本拠地は甲子園に対して西宮球場を新たに建設した。


 阪急のオーナー小林一三さんは、米大リーグを手本に、当時としては画期的な大球場を完成させた。驚くべきことにここには大きなスロープが、一塁側と三塁側に備えられていたのである。念を押す。戦前に、である。先見性とはこういうことを言うのだと、私は帽子を脱いだ。
 二つ目のトラックについて書くだけの「スペース」がなくなった。これはアリゾナキャンプとはほとんど関係ないので、次回に回す。要するに陸上競技のトラックがある競技場は、フットボール観戦には向いていない、という話になるわけだ。

【写真】【写真】現在は取り壊された西宮球場=2002年