決戦の前日、私は上ヶ原へ出かけた。ほかでもない。この日、母校では「ホームカミングデー」の集まりがあったからだ。これまで何度かお誘いを受けていたが、何かのついでがあればともかく、何もないときに千葉から出かけていくのは、いささか負担が大きい。
 今回は幸い、関西学院大と立命館大との、関西学生アメリカンフットボール・リーグの最終日と、日が並んでいたのだ。リーグ戦は毎年秋には一度か二度出かけて、母校を応援する。今年はその意味でラッキーだった。


 ホームカミングデーは、海の向こうではそれぞれの大学にとって大事な催しで、これに秋のレギュラーシーズンの試合を絡める。卒業生は大挙して母校のスタジアムに集まり、巨大なスタンドは埋め尽くされる。
 リーグ戦中に毎週1試合を取り上げて、観客動員を目的に、やらないよりはましだろうと、形だけホームカミングデーを催す、どこかの組織のとはわけが違う。やはり母校の小さなグラウンドでもいい。懐かしいなあと卒業生が集まってくる。その記念にどこかと試合をする、そんな本来の姿を理解してから取り掛かった方がいいんじゃないだろうか。


 私の母校では試合とは関係なく、会が開かれ、礼拝が行われてから、いろいろな報告があった。そこで説明に立っておられた方が、最後に「明日は立命館との決戦が…」とゲームの宣伝をし、一言付け加えた。「引き分けで単独優勝ということのようです」と。
 驚いた。まさかこのような場で、引き分けの話が出るとは思わなかったからだ。無論、学内のフットボール関係者が、この方にきちんと説明した結果だろう。しかし、フットボールではある程度珍しい引き分けを、こうした方に印象付けるどんな表現を使ったのだろうか。


 会合が終わり、昼食後に私はフィールドへ向かった。試合前日の練習が行われているからだ。スタンドの手前には無論、マネジャーがいて、丁重に名を聞いてきた。スタンドには何人かのOBがいた。雑談の中で、彼らも「引き分け」を口にした。随分行き渡っているなと感じた。
 海の向こうでは、皆さんご存じの通り、引き分けは「シスターとのキスの味」という。シスターは姉だろうか、妹だろうか。ま、どちらであっても、心がわくわくすることはないというのが、オチだ。しかし、日本では必ずしもそうではない。とりわけ甲子園ボウルに引き分けの好ゲームが集中している。


 名勝負として知られる1955年(昭和30年)の第10回甲子園ボウルでは、残り時間40秒、6点差を追う関学は自陣20ヤード辺りから、QB鈴木智之がRE西村一朗へのロングパスで劇的なTDを挙げて、26―26で日大と引き分けた。ほかにも65年(昭和40年)の第20回大会では先行した関学を追って、立教大学が第4Qに反撃、一気に16点を返して22―22で両校優勝となった試合も有名だ。
 列挙すると限りがないのでこの辺で止めるが、引き分け必ずしも味気ないゲームではない。特に終了間際、秒単位の時計の動きを感じながら、TDを挙げたり、FGを決めたりする場面はそれなりの値打ちがある。しかし、これが0-0というのはどうだろうか。実は私、80年近く生きてきて、この0-0の引き分けというのを初めて見た。


 関西学院中学部3年の49年(昭和24年)の第4回甲子園ボウルで、平素、面白いことばかり言っている大学のオッチャンらが、大活躍して快勝した試合を初めて見て以来、中、高、大とフットボール生活を送ったが、こんなスコアの引き分けはついぞ見かけなかった。
 スポーツ記者となり、東京新聞、共同通信と野球一辺倒の記者生活を送りながら、機会をとらえてはフットボールの「勉強」にいそしんだものの、このようなスコアの引き分けには、お目にかからなかった。定年後も同様である。


 こうして見ると、2013年に大阪の長居陸上競技場で行われた関西学生アメリカンフットボール・リーグ戦最終日の、関西学院大と立命館大の試合は、歴史に残るゲームだったといえるだろう。
 前日の学院関係者の引き分け大合唱から推測すると、ゲームプランは関西大との試合以降、一気に引き分けへ、負けない試合へと傾いていった様が推測できる。そしてその「狭き門」突破にかなりの自信を持って臨んだような気がする。
 同期の畏友に木谷直行さんがいる。私の右隣のガードで、俊敏であった。しかし攻撃のラインというものは、いかに能力が高かろうとも、役割は常に一つだけである。だが守備ではその高い能力がいかんなく発揮される。


 私はよく「この男が味方でよかった」と思っていた。スクリメージライン上の、ボールキャリアが出てくる穴にはこの男が必ず待ち構えていた。あまりパスを使わぬ時代だったが、パスと分かると身をひるがえし、LBの位置までをカバーした。パントブロックも名人だった。
 その木谷さんが、口ごもりながらつぶやいた。「単独優勝という結果を追いかけたら、こんな試合になった」「負けなきゃいい」「保守に徹していたな」「試合はもう一つだったが、これでよかったんだ」。歯切れは悪かったが、このもやもや感が、外から見るこの日の関学だった。


 スタッツは確かに関学が優れていた。パスは関学が148ヤード、立命86ヤード、とまずまずだったが、ランが関学99ヤードに対して立命はゼロだった。しかし、この数字の差があって0点は、OBにとっては消化に良くない。だがもう一つ考えてみると、それだけ立命のディフェンスがよかったということにもなる。試合開始後しばらくして、2007年(平成19年)の日大とイメージがダブるのに気がついた。


 短時間で何かを変えようとするのに、最も手っ取り早いのは、フットボールの場合、守備の基本技に立ち返ることである。とにかく立命のDL、LBのスピードに富んだ動きは見事であった。タックルは一撃で決めていた。それにバックスも鋭い動きで応えていた。もう一つ。パントがよかった。佐伯真太郎は八つほど蹴っているが、これが関学をどれだけ押し戻したことか。
 関学は主導権を握って戦った。最後のFGチャンスもあえてゴールを狙わず、そのまま時間切れまで待った。考えられるあらゆる悪い結果を排除したその戦いぶりの象徴が、最後の時間消費だった。ただ危険がなかったわけではない。前半も残りわずか。パントのリターナーが23ヤード地点でタックルを浴び、ファンブルしたのである。


 こんな動きの少ない試合では、こうしたミスはそのまま命取りとなる。一方立命は思わぬチャンスに盛り上がった。選んだプレーはパス。ところがこれを関学のDB大森優斗がインターセプトした。残り時間2分18秒。関学の「引き分けコンセプト」の救世主だった。
 以前、共同通信のデータベース(古い言葉だな)のセクションでオペレーターをしていた女性に、ほんのちょっとフットボールの手ほどきをしたところ、すっかりはまってしまい、今では大のフットボールファンになった。この日は長居のメーンスタンドに陣取って、観戦していた。


 そして関学のピンチ脱出、つまり立命の逸機を、大所高所からこう惜しんだ。「あそこで立命はパスを選んだが、なぜあれほど焦って投げたのでしょう。いい地点だったのに。じっくり攻めれば最低でもFGでしょう。そしたらこの後、関学が何をしたか。なによりも、この試合ではそれが見たかった」―。

【写真】第4クオーター、立命大のQB奥村をタックルする関学大のDB池田=24日、長居陸上競技場