また昔話をしたくなった。学生時代だが、当時の阪神間には西宮に一つだけ球技場があった。名前を「西宮球技場」という。阪急電車の持ち物で、サッカーとかの国際試合が開かれる場所でもあった。


 あれはスイスのチームだったろうか。グラスホッパーというサッカーのチームがやってきて、雨降りしきるこのスタジアムで国際試合を行った。信じられないことだが、スタンドは土盛りだった。土が崩れるのを防ぐために、花崗岩の丸い石が何段も何段も、一列に並べられていた。晴れていればこうした場所の土の上や、草の上にも座れるのだが、雨ではどうしようもない。観客はやむなく全員立ちっぱなしで観戦した。


 ハンドボールも開かれた。「え、屋外なのに」と思われる向きもあろうかと思うが、この当時、つまり私が学生のころはサッカーと同じ大きさのフィールド(グラウンド?)で11人制で行われていた。関西学院の上ヶ原キャンパスでは、私たちの隣でハンドボールがよく練習していたので、時々応援に出かけた。あの広いフィールドをドリブルで敵陣へ迫るのはさぞ大変だろうと思ったが、中盤はパスをつなぎ、一気に相手のサークル前へ出て、そこで改めて点を取るためのパス回しをするのが普通だった。そのうちにハンドボールは体育館へ移りサークルは小さくなり、試合の人数も少なくなった。


 この球技場、無論アメリカンフットボールも大いに使用した懐かしい懐かしいフィールドである。持ち主阪急電鉄の都合で、何年か前に球技場ではなくなったが、この球技場を忘れられぬ関西協会の方々が、「西宮市にアメリカンの球技場を」と復活ののろしを上げられた。場所はここでなくてもいいのだそうだが、実現に向けて頑張っておられるのはご承知の通りだ。とにかく関西のアメリカンフットボールはここ西宮球技場で育った、といっても過言ではない。だから西宮での球技場、私は一も二もなく大賛成である。


 春と秋は、阪急の西宮北口駅から球技場まで、今津線の線路に沿ったこの道をよく通った。ゲームは時々有料だった。するとダフ屋が出た。日焼けした顔を手拭いで覆ったお姉さま方が、でかい布袋を肩から下げた私たちに近よって「にいちゃん、ボウルの券ないか?」と声を掛けてきた。これがたとえば甲子園ボウル当日ならば、何の不思議もないセリフである。しかしここは西宮。普通の東西対抗だし、普通のリーグ戦である。


 ひょっとしたらフットボールの「ボール」かなと思ったこともあったが、ある意味、言いえて妙。ボウルという発音と抑揚で、アメリカン以外の競技ではないことが明らかになる。私たちは邪険に「無いよ」と振り払って通り過ぎる。そして球技場の近くまで来るとお姉さま方が姿を現し、こう声を掛けてくる。「にいちゃん、券あるで。ボウルの券いらんか?」
 額面を大きく割り込んでお姉さま方の手に渡った入場券は、100メートルか200メートル移動すると、あっという間に元の金額を回復する。見事な手品である。
 共同通信の同僚に、早大野球部の捕手を務めた男がいる。山口県の防府出身で、明るい上に気配りの利く御仁だ。古川義郎さんという。若いころは古川さんも私もプロ野球を担当していた。あれは何の会合だったか、少しアルコールも入って和やかな雰囲気が漂っていた。一滴も酒が飲めない私を、酒豪の彼はよく相手にしてくれた。「学生時代ですが、同級生にアメリカンフットボールに興味を持っているやつがいて…」


 その人物に言わせると、正月に行われる「ライスボウル」は実はアメリカンフットボールそのもののことだと古川さんに大真面目で説明したらしい。その理由は、「ライス」は「米」、「ボウル」は「球」。つまり、コメの形をしたボール、アメリカンフットボールで使うボールそのものの別名だと、強調して譲らなかったのだそうである。「こりゃ違いますわなあ」
 ダジャレである。大笑いした。こんな他愛もない話を軽く持ち出してくるあたり、いい仲間である。ただし「米球」の話は本当だそうで、古川さんの創作ではないことだけは、言っておかなければならない。このこじつけ。その発想には、いささか感心した。


 フットボールを「アメラグ」といった。今でも人によってはそういう方もおられる。戦後、アメリカンフットボールが市民権を得てからの言葉で、フットボールの成り立ちに基づいている。つまり当時、戦後の混乱期にフットボールといえば、アソシエーション・フットボールでそこへアメリカンフットボールが参入して、フットボールだと主張しても、誰も聞き入れなかった時代の話である。まだ「サッカー」は一般的ではない。知られていない。


 同じフットボールという言葉をどう区別するのか。足だけ使うのならフットボールだが、手も使うのにフットボールはおかしいと考えた人が多かったのは確かである。しかし手を使うという点に改めて目をつけた人々がおられた。ラグビーも手を使うよなあ。アメリカから来たラグビーだ。アメラグだ、となっていったらしい。
 私たちが「アメラグ」を聞いたのは高校時代だった。「おい東京ではアメリカンのことをアメラグ言うんやて」。私たちはこのスポーツに親しむようになってからは、もっぱら「アメリカン」と言い習わしていた。関西は大体アメリカンだった。ブランデーの水割りか、と混ぜっ返すのは、ブランデーの水割りがはやりはじめた近年の話だろう。


 高校2年の時、センターとして東西の選抜戦「ライスボウル」に出かけた。重い土に苦労したが、試合は快勝だった。現地でそのまま解散し、私は戦争中に住んでいた千葉県の市川で友人たちと会うことになっていた。大学の試合の後、私を尋ねてこられた方がいた。市川で父がお世話になった方のご子息で、立教在学中ということだった。


 話は立教へのお誘いだった。私を突破口に同級生を一網打尽にということらしかった。しかしまだ2年生だということ。そのまま上へ進学しようと考えていることなどを、正直に伝えたらすぐ分かってもらえた。
 一緒に市川へ行くことになった。車中でフットボールの話をしたら、この方は「アメラグ」を連発された。東京地方の方言だったのだなと思った。あらかじめ聞いていたので、驚かなくて済んだ。


 理屈をこねると、アソシエーション・フットボールがサッカー。ラグビー・フットボールがラグビー。だったらアメリカンフットボールはアメリカン。このアメリカンフットボールとラグビー・フットボールを足し合わせるという「暴挙」に基づく「アメラグ」は、個人的感想を述べると、少し品がない表現のように思う。


 ちなみに日本では、フットボールといえばおおむねサッカーのことで、二つも名前を持たないでほしいなあと思う。米国でフットボールといえば、私たちのアメリカンのことで、手を使えない方はサッカーである。日本サッカー協会と言うように、近年、組織の正式名称をサッカーに替えたのだから、フットボールはそのまま私たちに譲り渡してほしい、とも主張したい。

【写真】1970(昭和45)年当時の西宮球技場、全国高校サッカーなどの会場だった。