恥ずかしながら「一つ話」をする。広辞苑を開くと①いつも決まって得意になってする話、とある。もう一つは②後々までも語られる珍しい話。「奇談」というのもあるが、私のする一つ話は、無論前者である。


 東京駅の八重洲側の並びに、サピアタワーというビルがある。ホテルなどが入っているが、ほかに関関同立や甲南といった、関西の各大学の同窓会東京支部がお世話になってもいる建物だ。OBとして月に何度か関西学院の同窓会にお邪魔するが、この「週刊TURNOVER」を宣伝していたら、事務のご婦人から「シーズンが始まった」と書いておられますが、アメリカンフットボールにはシーズンっていうのがあるんですね、と尋ねられた。


 私は、こういう基本的な質問は決して嫌いではない。むしろ好きである。一般の方々のスポーツに対する認知度、理解度がそのまま出るからだ。のちに記事を書く上で、「素人の方々」のこうした知識の度合いは大いに参考になる。そのせいもあるが、このあたりを好むのはスポーツ記者の習性の一つかもしれない。


 前回「もう一つ大きな発見」などと、大げさなことを書いて終わったが、実はそれほど大げさなことではなく、スポーツファンなら誰でも知っていることを今から書こうとしている。つまりスポーツにはシーズンがあり、季節を追って次から次へとその季節に合ったものが行われる。
 夏には水泳、ヨット、サーフィンetc。冬にはスキー、スケートetc。そして春には…、秋には…。だが、本当にそうだろうか。本当に当り前だろうか。もう一度念を押す。特にそのスポーツの関係者は、そう思っているだろうか。


 1976年(昭和51年)3月7日、後楽園球場が全面的に人工芝に替わり、その完成のこけら落としに、アメリカンフットボールが選ばれた。派手な競技だし、米国ではフットボールのフィールドとして、どしどし人工芝が採用されている。
 その日の催しは東日本と西日本の選抜戦で、全国的な広がりをと北海道、九州の選手も参加。東日本が33-0で完勝した。この日、二層のスタンドの上部一塁側に設けられた臨時の記者席で、日本協会顧問の平田敬量さんが感慨深げにこうおっしゃったのが、私は忘れられない。
 「丹生さん」。フットボール界の先輩だが、この方はいつでも丁寧だった。「僕、うれしいよ。これでいつでもフットボールができるようになった」


 土のグラウンドが、霜解けで泥田のようになる関東のグラウンドコンディションを念頭に置くと、この平田さんの「いつでも」とおっしゃった意味は実によく分かる。
 しかし、平田さんは続けて、こうもおっしゃった。「これでフットボールも一年中できますね」
 やはり、協会の役員である。長らく空席だった協会の会長に自民党の大平正芳さんを引っ張り出したつながりで、顧問を務めておられたわけだが、自らが深く関わるスポーツに対する思い入れは、どの競技団体でも同じだな、と思った。


 スポーツという人類文化は、日本ではまず体育としてスタートした。教育の一環の体育は、幾つかの源流を持つが、その中の太い流れはやはり武道である。柔道、剣道、弓道といった武道には、戦前から季節を問わず鍛錬に励む、といった習わしが色濃く残る。寒稽古などといった言葉はその厳しさの象徴だろう。
 とにかく一年を通してたゆみなくその競技に打ち込むのを「よし」とする思考方法は、日本のスポーツ特有の習慣としてそびえ立ち、その姿こそ理想、とする考え方も多くの競技団体にはっきりと残っている。


 「週刊TURNOVER」の執筆者の端くれに加えていただいたちょうどその時期、宍戸さんが桑田、清原にフットボールをさせてみたい、と「ユニーク」な話を書いておられた。この図抜けた身体能力に恵まれたお二人が、野球の枠をはみ出してフットボールをする発想は、一つのスポーツに打ち込むことを美徳とする日本では、奇想天外な話として語られるのが落ちだろう。実現などはまず考えられない。
 しかし、私も宍戸さん同様、フットボールの出身者で、同時にスポーツ記者という仕事を通じて、米国の事情やものの考え方を知る機会に恵まれた。海の向こうでは、奇想天外どころか、その気になれば、即実現できる「企画」であろう。なぜか。シーズン制が、日本で考えられているよりも、ずっと「厳重」に守られているからである。


 さあ。お待たせしました。私の「一つ話」の登場です。
 1971年(昭和46年)の早春、プロ野球担当だった私は、ロッテのアリゾナ・キャンプに同行した。生まれて初めての海外旅行で、初の海外取材だった。記事の送信方法など、今ではとても信じられないような話が山ほどあるが、そんなものを紹介していたらいつまでたっても本題に入れない。とにかく無事キャンプも終わって、3月の終わりに一行は砂漠から都会へ舞い戻り、ロサンゼルス、サンフランシスコで一息入れた。


 私はアリゾナでは果たせなかったゲーム盤探しに力を入れた。フットボールに関する単行本のたぐいはアリゾナでも少しは手に入ったし、カリフォルニアへ出てくると、さらに内容が豊かになった。児童書が正確で分かりやすいことを、この本探しの過程で知った。これは大収穫だった。
 しかしダイスを振ったり、カードをめくったりしてコマを動かすフットボールに関するゲームは、ロスでもシスコでもそう簡単には見つからなかった。またフットボールの雑誌も、どこにも置いていなかった。雑誌は日本でも買える。しかしゲーム盤は米国でしか買えない。私はおもちゃ屋に手当たり次第に飛び込んだ。


 確かロサンゼルスだった。一軒のおもちゃ屋で私は山と積まれたゲーム盤に遭遇した。これだ、これ。喜び勇んで、私はその山から山へと渡り歩いた。しかし、当初の意気込みはだんだんしぼんでいった。行けども行けども、目に飛び込むのは野球ゲーム。
 これでもか、これでもかと、色んな種類の遊戯ボードはあるものの、フットボールがない。どこにもない。思い余った。下手くそな英語だが、ここで使わなくてどうする。勇気を出して店員さんを呼んだ。
 野球盤を指差しながら私は「このようなゲームを探している。野球ではない。フットボールのを…」。話は恐ろしく早く通じた。年はほぼ私くらいのその女店員さんが、実に気の毒と言いたげな表情をつくったのを見逃さなかった。その口からはこんな言葉が出てきた。「お気の毒ね。フットボールのシーズンはもう終わりました。これからは野球です」


 私の顔を見ながら優しく、しかし、簡潔に説明して彼女はその場を立ち去った。この説明くらいのことは百も承知である。東洋人とはいえ、スポーツの記者だぞ。次にフットボールが始まるのは、9月(厳密には8月の終わり)ではないか。別にこの店員さんにケンカを売っているわけではない。
 私はショックを受けていた。大きい店だった。その店が、フットボールのゲーム盤を売っていない。米国人なら誰もが知るフットボールのゲームを、店頭に置いていない。実はスポーツに絡む商品が、そのスポーツシーズンとここまで密接に同調している、というのは全く知らなかった。フットボールぐらいなら、いつでもどこにでもあるという考えは、大間違いだった。


 ロスやシスコの全部のおもちゃ屋を見たわけではない。中には売れ残りが棚の奥に残る店舗だってあるだろう。しかしそんなケースとは別に、シーズンになればこうした全面的な入れ替えがある。
 常識はこちら、という認識だけははっきりと得た。文化の違いの面白さを、フットボールファンは大いに学んでほしい、などと考えている。

【写真】NFLと大リーグの両方でプレーしたダラス・カウボーイズのディオン・サンダース=96年(共同=AP)