何年ぶりの現場復帰だろう。そもそもスポーツ記者という職業に就いたのは、アメリカンフットボールの普及に少しでも役にたてば、などと大それたことを考えたからでもある。
 むろん先達が何人かおられた。まずは花岡淳さん。ハワイ生まれの日系人で、戦前に来日し明大に学んだ。在学中から選手のみならず、指導者としてもフットボールの普及に尽力。戦後は「The Yomiuri」の記者となられ、報知新聞でも健筆を振るわれた。


 戦後になると、明大の井上柳一さんが日刊スポーツに入られた。攻守のタックルとして活躍された大選手だった。次いで立大のエンドとして攻守に鳴らした宮川一郎さんが東京中日新聞に進まれた。
 関西では関学のQBだった米田満さんがデイリースポーツに入った。こうしたフットボール出身の「専門家」の方々がお書きになる記事は、選手にとってまさしく宝物だった。毎年秋になると、三紙とも大きくフットボールに紙面を割いた。必ず写真が載っていた。これが甲子園ボウル、ライスボウルまで続いた。


 関学の選手だった私どもは正直言うと月曜の朝、駅前の売店でデイリースポーツを買うときには少し緊張した。ほかでもない。監督でもある米田さんの戦評が載るからである。つまり紙面を通して時々お小言をいただくことがあるわけで、こんなときは猛練習が、いつ果てるともしれぬほど繰り広げられるのが常だった。今日の練習どうなるかな、これが緊張の原因だった。
 無論一般の読者の方々から見ると、それがお小言かどうかはなかなか分からない。控えめながらお褒めをいただくこともあって、両者がうまくセットになっていたせいもある。


 卒業後私もスポーツ記者の世界に足を踏み入れた。米田さんは無論のこと、花岡さん、井上さん、宮川さん、みなさんからそろって歓迎されたことを今でも鮮明に思い出す。
 いよいよフットボール、と意気込んだが、時代はすでに大きく変わっていた。フットボールに割かれる「紙面」のスペースは次第に狭まっていった。もはやこの世界で生きる以上は、好むと好まざるとにかかわらず、何の競技でも取材せねばならかった。野球をはじめ、さまざまな球技を、体協を、五輪を、という取材が始まり、フットボールの普及紹介という、当初の「青臭い」目的など、次第に影をひそめ、心の奥にしまい込まれることとなった。


 しかし1970年代半ば、米国チームの来日、国立競技場を満員にした第1回のジャパンボウルなど、日本のフットボール界は新たな刺激を受けて動き出した。雑誌も創刊され、そこの協力依頼を受けた私は、手伝いを兼ねて海の向こうのニュースを受け持った。
 プロのNFLについては、少しその気になれば十分すぎるほどの資料があった。カレッジはそこが違っていた。その気にならない限り、資料に乏しかった。で、創刊当時の編集長に「NFLは大丈夫だろうから、大学を引き受けようか?」と申し出て、主にNCAAの紹介に務めた。作業は結構細かかった。それが年ごとに変動した。つまり、一つずつその場で処理してゆけば、さしたる事もないのだが、たまるとうるさい。


 定年の後、社内も雑誌の方もしばらくお手伝いしてから身を引いた。
 それから何年経ったことか。あのころ100校を少し超えた程度のメジャー諸校は、2013年現在、125校にまで増えていた。第一、NCAAの1部Aで片付いていたクラスが、フットボール・ボウル・サブディビジョン(FBS)というクラス分けになり、1ランク下の1部AAの方はフットボール・チャンピオンシップス・サブディビジョン(FCS)と呼ばれている。
 ちょうど身を引く直前、王者決定戦の要望が全米に広がり、その仕組みについてさまざまなテストが繰り返されていたのを思い出す。それが今ではボウル・チャンピオンシップ(BCS)という形になって実現し、はや8年目を迎えていた。戻ってきた「昔人間」は今回初めてそのニュース処理をすることになる。


 で、その125校だが、これは取材対象そのものである。放っておくわけにはいかない。大体1部Aでいくつ組織があるのか、確認してみると今季は10リーグ。ほかに独立校のグループ、となる。
 今季は、と但し書きしたのは、昨年まで存続した「ビッグ・イースト」という東部の中堅校の組織が解体され、大半が新たに「アメリカン・アスレチック」と呼ぶリーグに吸収される、という風に変動が絶えないせいだ。ま、こんな動きが落ち着くことは、しばらくないだろう。
 また「ウエスタン・アスレチック」という伝統を誇った組織も、「マウンテン・ウエスト」などへ吸収されているのを見ると、一種の感慨を覚える。


 そういえばテキサス州とアーカンソー州で一大勢力を張っていた南西リーグ(SWC)が立ち行かなくなって姿を消したころに、私もこうした作業から身を引いた。思い出もひとしおである。
 もっともSWC以外の強豪リーグは間違いなく健在である。まず、太平洋岸の「パシフィック12」は以前の「パック10」で、現在は2校増えて南北の地区制になっていた。
 ロッキー山脈を越えると、以前「ビッグ8」といったリーグが「ビッグ12」と名を変えて勢威を張っている。もっとも「12」とはいうが現在の校数は「10」。逆に最古の名門「ビッグ10」はいつの間にか2校増。レジェンド、リーダーズの2地区になり、合計12校を数える。この2つの組織の名が偶然逆になっているあたり、妙である。


 南部には南東リーグ(SEC)が深々と根を下ろす。ここも増えた。ずっと以前は10校だったが、それが12校になり、14校になっている。むろん東西の2地区制だ。あとは「アトランチック・コースト」のACC。ビッグ・イーストから2校が移ってきて14校。アトランチック、コースタルの2地区に分かれる。昔よりも重みを増してきた感がある。
 そして「インディペンデント」。どこにも所属しないで、独自のスポーツ活動をする大学で、日本では全く見られない存在だ。そのリーダーがご存じノートルダム大。あと陸軍と海軍の両士官学校。来日したこともあるブリガムヤング大(BYU)が独立校となっていたのにも今回気がついた。


 開幕前から、組織のチェック、加盟校のチェック、ランキングのチェックと進めてきた作業は試合が始まると、ランキングの上下と勝ち負けのチェックに追われる。しかしこれも私にとっては一種の趣味なのかもしれない。

【写真】現在、全米王座決定戦(BCS)を2連覇しているアラバマ大のホームスタジアム(AP=共同)