本格的にコーチをしているといっても、僕の場合は主流である戦略や戦術の設計、組織の運営や選手起用などを担当することはなく、あくまでも選手への技術指導だけに絞り込んだ活動をしています。
 実際に体を動かしながら指導する時を「シゴキ」と呼び、フィルムミーティングなどの時間を「セッション」として分けています。


 上達にはこの「シゴキ」と「セッション」の両方が必要と考えていて、練習の前後のミーティングなどで意見交換をみっちり行い、勘違いや誤解がないかどうか、やる気にあふれているかどうか、気持ちは通じ合っているかどうかなどをやり取りして練習量や内容を決定します。


 そして普通と違うのは全てが「あくまでも個人指導」であるということです。ランニングバック(RB)にもいろいろいて、それぞれに強みと弱み得手不得手があります。
 その中で「A君はどのように導いていくべきか」「B君は少し背中を押すだけにしよう」「C君はモチベーションアップが必要だな」などと、カリキュラムは同じに見えますが個人個人に合わせた指導を実践しています。


 では何を基に「指導者ヅラ」しているのかと申しますと、それは四つあります。第一はコーチとしての基礎を学んだのは2歳から始めた水泳です。
 上達しているという自覚のない幼稚園児のうちにバタフライまでの4種目が泳げるようになり、大阪府堺市にある「浜寺水練学校」という創業110年をこえる歴史ある組織で教員試験に合格してしまい、小学4年生から「教職員」という肩書きで活動をしていました。


 そこでは毎日数千人の生徒さんが押し寄せ、数百人の教職員で水泳技術を教えます。
 水泳は命に関わる事故が起こり得ますので、安全管理にはめっぽう厳しく、指導ではなく生徒さんの人数管理だけを担当するのが新米教師の仕事です。


 とてつもない人数の生徒さんがグループに分かれていて、それぞれ30人から50人のグループが25メートルプールを横向きに使います。15メートルほどの距離を5、6人ずつの生徒さんをスタートさせ大声で叱咤激励します。


 コースロープなどは使用できない状態ですので、すぐ横にもその向こうにも別のグループの授業が行われており屋外のプールは大混雑です。泳ぎ着いたらよそのグループと生徒が混ざってしまわないように自分のグループへ誘導しなくてはなりません。
 全員が泳ぎ切ると人数の確認をしやすくするため、キチッと整列した状態でプールサイドに座ってもらい、下っ端の僕らが生徒さんの人数を数えます。


そこで学べたことは、教職員はそれぞれの能力と階級や経験値によってアサイメントが割り当てられており、それぞれが体力を振り絞り大声でコミュニケーションを取り続け、全力で仕事を全うしないと生徒が上達しない。
 また最悪の場合はけがをしたり迷子になったり、命を落としてしまうということです。幸い110年の歴史で死亡事故は起こっておりません。


 例えば、陸上で説明などをする時は生徒が眩しいので、太陽を背にして生徒に話してはならない、というような基本をたくさん学んできました。


 この水練学校は軍隊式の泳法も指導していて、日本古来の「古式泳法」を競泳4種目をまだマスターしていない中級者のうちから教えます。
 立ち泳ぎや平泳ぎ、横泳ぎなどでしたらお聞きになったことがある方もいらっしゃるでしょう。そして軍隊式なので戦争の時に使えるような泳ぎもありました。


 捕虜として捉えられ縄で後ろ手に縛られたような状態で逃亡時に溺れない泳ぎ方。向こうに敵がいないかを確認するため立ち泳ぎの状態から(プールの底を蹴らずに)上に飛び上がる術、などなど面白いものもありましたが、軍隊式の真髄はやはり上下関係の厳しさです。


 水泳を習っていたら上達して「卒業試験」なるものがありそれに合格すると先生になれる。合格者発表は新聞の朝刊に掲載されるというオシャレさもあり、ほとんどの生徒が必死で「先生」を目指しました。


 しかし先生になった途端、一番下っ端に逆戻りです。先生と言っても人数を数えることしかやらせてもらえません。
 階級が誰からも一目でわかるように帽子に線が入れられておりインチキはできません。これによって自分の立場と、その役割分担のようなことを体に叩き込まれてきました。


 生徒さんへの指導は本分中の本分ですので、毎日研修があり良くても褒められたりしませんが、しくじれば罰を受けます。
 通常の学校と違い、個人が辞めてしまうことに関し学校側は微塵も関与しません。ですから辞めたければすぐに辞めることができますので、やる気にあふれた人間しか残りません。とても厳しい世界でした。


 二つ目に、同じく2歳ごろから始めたスキーです。これも上達のために専門のコーチについてもらって競技に出場するまでの指導を受けました。
 水泳よりもはるかに商売っ気が強く、優しく指導してくれます。叱ったり怒ったりは一切ありません。ただ天候の悪い日の練習は大変でした。当時はロクな防水ウエアもなく指と顔が凍えて泣きながら滑っていました。


 三つ目は皆さんと違って成果があまり得られなかった普通の学校です。小中高と12年も年がら年中通ったのに、一流の大学には入学できませんでした。
 しかし、中学校では恩師の板橋先生に出会い、上達するには師匠の指導を自分がどれだけ信じて実践できるかにかかっているかという大切なことを学びました。


 そしてこのコラムで何度も書かせていただいているように、最初は超のつくヘタクソ選手だった僕が、日本代表の選手にまで指導ができるようになったのは、四つ目の「自分のフットボールでの成長記録」からの検証を元に、独自の理論を展開しているからと言えます。


 1から10までを習得せねばならない人に、2番でつまずいた時はこうすればいい、4番でつまずいた人にはこうだよなどといったさまざまなケースと照らし合わせ、この時に自分はこんなことを悩んでいたな、上に導いてくれた指導者と導いてくれなかった指導者がそれぞれどんなことを話してくれたのかなどなどを、すべて記録してあるのでネタは尽きません。


 「セッション」で理解を深めてもらい「シゴキ」で細かい調整と反復練習。今のところこの方法でなんとか少しずつ少しずつ前に進んでいます。


 そして結局は「スピードとかパワーももちろんめっちゃ重要やけど、それを生かすのは経験によって培った技術や。せやけど肝心な場面でその技術を使い切れるかどうかは根性次第や。そして成功を収めるには運もいる。コレがわかってへんかったらナンボ練習しても勝たれへんで」という根性論に落ち着きます。
 浜寺水練学校をはじめとして、最も重要だったのは心の強さでしたので。

【写真】浜寺水練学校に通っていた頃の多聞さん(前列右から2人目)=写真提供・中村多聞さん