1998年11月の初旬に、レギュラーシーズンをブロック優勝で終えました。関東の強豪チームと対戦するプレーオフに向けてトレーニングを強化しなければなりませんが、次年度のNFLヨーロッパのトライアウトにも役に立つ「タモン式ランニングバック必勝カリキュラム」を考えていた期間に、海外から何やら英語で書かれた数万円の請求書と小包が届きました。


 当時はサラリーマンで、手取り13万円程度だった僕の収入に対しては、あまりにも高すぎる金額です。
 英和辞典で調べるとどうやら「関税」となっています。関税とは外国で高額なものを買って日本に持ち帰った時にかかる税金ですが、貧しい僕は外国で高い買い物などしていません。


 開封してみると、なんとそれは僕がNFLヨーロッパに所属していた6月にフランクフルトで開催され、我々「ラインファイアー」が勝利した記念品の「ワールドボウル優勝リング」だったのです。
 「NAKAMURA」「21」と名前と背番号もバッチリ刻印されています。成績の8勝3敗、チーム名などが刻まれズッシリと重い、見事なものです。


 ただ問題は、このリングを獲得するために僕自身がなんの役にも立っていなかったということです。少なからず貢献はしましたが「僕でなくてはならない」というプレミアムが一切ありません。
 同程度の実力の人であれば誰でもよかったわけです。これは「オキュペーション(職業)=アスリート」と各国のイミグレーションで申告していた者にとっては非常に残念なことです。


 リングをもらえたことに関しては、東洋の大学出身選手としては僕が世界で初めてですし、純粋に喜んでいるのですが、心の奥底ではあまりうれしくありません。
 選手としてはやっぱり、自分がしっかり活躍したおかげでチームが勝利した方が気持ちがいいのは言うまでもありません。


 このリングを手に入れたことによって、「日本で自分がしっかり活躍して社会人ナンバーワンになる」がより明確に自分の中で目標ではなく、自分との契約に変化しました。
 この頃の僕と言いますか多くの社会人選手は「ライスボウル」を目指すというより社会人ナンバーワンにしか関心がないのが標準的で、ライスボウルはお飾りでありあくまでもお祭り、という位置付けでした。


 ですから強烈な思いで目指しているは社会人ナンバーワンの座なのです。後にライスボウルに勝利する経験もして、世間的には圧倒的に「ライスボウル優勝」の方が価値が高いと知ることになったのではありますが。


 ブロック優勝、ワールドボウルリング、第2子誕生、僕のピースがどんどんそろってきています。でも、まだ自家用車は9万円で買った中古車です。
 何しろお金がない毎日を過ごしていました。そして以前から虎視眈々と狙っていた「BAR」の開店が現実のものとなったのです。


 このコラムでも以前何度か登場した大学の同期「宮ちゃん」は、既に起業して成功を収めていたのでこのバーに大金を出資、僕は運営と集客、什器など備品を用意する担当ということで「共同経営スタイル」でスタートしました。


 大阪梅田駅から遠く離れた雑居ビルの5階。スナックの居抜きスペースでキャパシティーは12人のカウンター席のみ。
 これが渋谷区のタモンズバー東京に次ぐ「タモンズバー大阪」です。同フロアには強烈な店が他に2軒ありました。


 昼過ぎから超盛り上がっているカラオケスナックと、ふんどし一丁がユニフォームの畳敷きバー。そしてフットボール関係者しか来ない「タモンズバー」です。
 悪い立地で飲食店が生き残るには「忘れられない何かを持つ、とんがった店」という専門誌の記事は、妙に説得力がありました。


 グラウンドとユニフォームの貸与サポートを受けアサヒ飲料でプレーしていますので、提供するビールはもちろん気を使ってA社のものとなります。
 チーム関係者にはたくさんA社の人がいます。「今度バーをすることになりましたので、生ビールを注文したい」とお願いし、開店日(リーグ最終戦と同じ日)に機材の設置とビール樽の納品を約束したのですが、予定の時間を過ぎても納品の気配がありません。


 問い合わせても日曜日ですので連絡がつきません。やむを得ず近所の酒屋でA社の缶ビールを買い、初日をやり過ごしました。
 メニューには生ビールの「中」や「大」などと書かれているので、試合当日だったとはいえ準備不足が露呈し、非常にバツが悪かったことを思い出します。


 アスリート、バー経営者、サラリーマン、父親。人生の転機を迎え、希望と不安を胸に邁進する「男・中村多聞」でありました。

【写真】NFLヨーロッパ時代に所属したチームから届いた「チャンピオンリング」=写真提供・中村多聞さん