現在ではエックスリーグの登録メンバー締め切りは7月末だったと記憶していますが、1998年当時は開幕直前の8月末でした。
 僕の移籍&登録は滑り込みでギリギリセーフ。この時から「アサヒ飲料の中村多聞」としての10年間が始まったのです。


 シーズン前に「エックスリーグフェスティバル@西宮スタジアム」がありました。主催者側から僕に依頼があったのは「GAORA放送陣+パンクラス関係者と日本代表がフラッグフットボールで対戦」でした。顔見知りの有名選手数人に声を掛け集まってもらいました。


 パナソニックからはDL脇坂、RB粳田、OLプリンとフトシ、マイカルからはDLツヨシ、アサヒ飲料からはLB晋三とDB内田、ヘッドコーチとしてサンスターの萬谷。この布陣でエックスリーグフェスティバルの目玉としてパンクラス軍団とゲームを楽しみました。確か我々が負けたように記憶しています。


 エックスリーグフェスティバルはこれまでシーズン前に数回開催され、各チームが趣向を凝らした出店をしたり、テレビ局が来たりと大きな賑わいを見せていましたが、結局は消滅してしまいました。
 土日ごとに練習で家を空けるご主人が普段の活動の一端や素晴らしい仲間達を家族に見せることのできる数少ない機会でしたのでもったいないことです。僕も友人や家族、勤めていた会社の上司などを呼んで楽しい時間を過ごしました。


 そしていよいよ秋のシーズンが開幕となります。昨季は最下位で入替え戦に出場した「アサヒ飲料チャレンジャーズ」は、当時の方式で昨季強かったチームから順番に対戦することになっています。つまり初戦は「松下電工インパルス(現パナソニック)」なのです。
 ただし僕が加入する以前、春に開催の「グリーンボウルトーナメント」で既にパナとマイカルを倒しているのです。しかもパナ戦に至っては24―5と圧倒しての勝利です。


 僕は今でこそ過去の栄光をひけらかして威張り散らしておりますが、この時点ではまだ実績のない雑魚であり、サンスターでの過去3シーズンでの秋シーズンスターター経験はありません。
 業界内では、誰だかよく知らないが、マグレでNFLヨーロッパに行った奴、という状態ですからパナソニックにとって僕の存在はどうでもいい感じだったと思います。


 アサヒ飲料にはトップレベルのRBがひしめいており、特に「立命館OBの〝暴れ馬〟 丸山」「京都大OB〝技巧派〟 吉田昌弘」と僕の3人でしのぎを削っていました。
 新加入の僕は半月でプレーを覚えるのがやっとで、パナソニックとの開幕戦は3本目のランニングバックとして出場の機会を待ちました。


 試合開始早々、アサヒ飲料オフェンスはいとも簡単に相手ゴール前まで進みます。ゴールまでわずかの距離になった時、普段は僕のことを「なかむらくん」と呼んでいたヘッドコーチの藤田さんが、サイドラインで「タモン、行けやー!」と大声で怒鳴るのです。
 あまりのことにビビりまくった僕は、過去最速でサイドラインから攻撃陣のハドル内に潜り込みました。もちろん僕がボールを持つ中央へのランプレーです。カッコ悪いフォームでしたがあっさりとエンドゾーンに飛び込むことができました。


 パナソニック戦でのタッチダウンは、実はこの時が生まれて初めて。藤田さんがアサヒ飲料に在籍した4年間に出場したパナソニック戦の合計7試合で5タッチダウンしかしておりませんので、貴重な体験となりました。


 結局試合はなんと23―0の完封勝ち。「アサヒ飲料の強さは本物ではないか?」と思われ始めた98年年9月初旬の出来事でした。

【写真】「エックスリーグフェスティバル@西宮スタジアム」での多聞さん(右端)=写真提供・中村多聞さん