所属するライン・ファイアーはスペイン遠征から地元へ戻り、デュッセルドルフで迎えた第8週のロンドン・モナークス戦はロースコアゲームで勝利しました。これで7勝1敗。モナークスは翌年にはなくなっていたのでこれが最後の対戦でした。
 試合後はいつものようにスタジアム内の関係者専用レストランでメーンスポンサーのスッキリ辛口、上面発酵のビールで勝利の乾杯をしていると、周りがすごい騒ぎになっています。どうやら今日の勝利で我がチームのプレーオフ進出が決定したようです。


 中心選手ではない僕にとって、プレーオフは大きな関心事ではなかったわけです。勝利すれば勝利ボーナスが出る。点差がつけば終盤に出番がある。コーチの機嫌が良くなる、ということが自分に関係するだけなので、この後日本に帰ってから味わう「自分の出来不出来でチームの明暗が別れる」というスポーツマンとして最高級なスリルを楽しむところまでは到達していませんでした。
 まあ、ひとまず良かった。


 NFLヨーロッパでは、プレーオフ進出イコール決勝戦のことです。その名は「ワールドボウル」。知名度や権威、歴史ではNCAAカレッジフットボールのボウルゲームの方が上ですが、マイナーリーグとはいえNFLの補欠連中が集まっているのです。プレーのレベルでは「スーパーボウル」に次ぐランクのボウルゲームです。
 優勝チームに所属した日本人選手はもちろん過去に存在しません。ビールを飲みまくりホロ酔いの僕が大した活躍もせずドエラい切符を手にしニヤニヤしていたのは言うまでもありません。


 残る2試合はプレーオフが決まり勝利へのモチベーションが薄れ、アムステルダムでのアウェーゲームは惜敗。そして最終戦は人生初のオーバータイム。地元で決勝FGを決められ破れました。
 決めたキッカーがはしゃいでいる姿を18年経った今でもはっきりと覚えています。いずれも小差とはいえ2戦2敗。


 結局僕のプロフットボール元年、レギュラーシーズンの結果は7勝3敗。ランニングバックとしての個人記録はランで5回12ヤード。パスで1キャッチ13ヤードでした。
 「ジャパニーズランニングバック」として輝かしい足跡を残し、いてもいなくても関係ない雑魚プレーヤーとして君臨しました。
 スペシャルチームでのタックルやアシストは結構ありましたが、これが少しぐらい多くても勲章になりません。ランニングバックとして何ができたのか? を自分自身に問うとやはり「残念な結果だった」となります。


 ただし5カ月弱もの長期間、NFLで給料をもらっていた選手が多くいる中でシーズンを過ごし、生活をともにし、日本では考えも及ばないほどのハードなスクリメージ練習を毎日40〜50プレー。これを本気の本気、必死のパッチでやれたことで、この後のキャリアに大きく影響を及ぼしました。
 ですから今このような場所で自分の過去や経験、思いを世に出す機会を与えていただくことになったのです。


 いよいよ次週は優勝決定戦の「ワールドボウル」です。対戦相手はリーグで集客ナンバーワンのフランクフルト・ギャラクシー。偶然にも開催地が彼らの地元フランクフルト。ワールドボウルもスーパーボウルと同じで開催地は持ち回りで先に決まっています。


 大音量でもナンバーワンのフランクフルトで決勝戦。チームで最も英語ができない僕にとって、あのフィールドは条件が悪すぎます。
 出番があるかどうかはわかりませんが、とりあえずいつもと同じように練習するだけです。相変わらずオフェンスのチーム練習には入れてもらえないまま最終週を迎えました。

【写真】NFLヨーロッパ時代、ファンとの交流を大事にした多聞さん