いよいよ所属する「ライン・ファイアー」の一員として、本拠地ドイツで初練習。ライバルとのポジション争いが始まりました。


 1998年3月28日
 フルパッドでの練習。RBに新人のドイツ人が入ってきました。体脂肪も少なくパキパキのハンサムな黒人でしたが、下手くそだったので安心しました。
 練習後のコンディショニングで腰が痛くなってきました。これは体重が増えてきた時に腹筋トレーニングが不足していると出てくる症状です。やばいです。慌ててドッサリ腹筋やりました。


 今日はオフェンスラインの一人が誕生日なので街に繰り出しました。なぜか途中からオフェンスラインたちと離脱して、白人ラインバッカーたちと飲んでしまい、また朝帰りです。


 1998年3月29日
 日曜で練習はオフ。夜のミーティングまでグダグダ寝たり起きたりしていました。ミーティングの内容は、次の土曜日に対戦する相手のスカウティングリポートとバトルプランをインストールしました。
 相手はアムステルダム・アドミラルズ。我がライン・ファイアーオフェンスと直接対決するラインバッカーであるマーサ河口の名前もミーティング中に何度か出てきます。


 逆に向こうのミーティングでは僕の名前など一切出てくる事は無いんやろうーなーなどと考えていました。頑張らないといけません。ミーティングが終わって街に出てお酒は飲まずカフェでコーヒーを飲みました。


 1998年3月30日
 ホームのスタジアムでチーム写真の撮影会です。結構な数のマスコミが来ていました。その後ミーティングして練習。
 僕はホケツなのでオフェンスの練習にはほとんど参加できません。しかしディフェンス陣のためのスカウティングオフェンスでは全プレーを担います。


 ここでアメリカ人を相手にしっかり練習しておけば、うまくなること間違いありません。一切気を抜かず、全てのプレーで上達を目指します。
 簡単には走らせてもらえませんが、たまにはいい走りができる時があります。今日はドロープレーでいい感じに走ることできました。


 練習後はウエートトレーニング、そして昼食をとってミーティングです。これがだいたいシーズン中の通常スケジュールですね。
 アメリカでのキャンプと違い1日2回練習ではなく、1回だけ。密度と真剣味は変わるけども、練習量が減るので体への負担は軽くなりました。
 調子に乗って飲みにばかり行かないように気をつけました。ドイツ人ルーキー黒人RBは練習生だったらしく、今日で最後でした。バイバーイ!


 この後「おい、おんどれら、パーティー行くからちゃんとした服着とけや!」と、下っ端のコーチが叫んでいるのでスーツを着てホテルのロビーで待っていたら、バスが来てライン川の横で降ろされました。
 そこにはボートがあり、全員それに乗り出発。よく見ると消防用の船です。ライン川に浮かぶファイアーエンジン。で、ラインファイヤー。よくできた仕掛けです。


 そうすると、岸にはチアリーダーとものすごい数のファンが待っているのが見えました。消防船から消火用水を噴射して盛り上げます。桟橋に着くと大音量で音楽が鳴り響き、大歓声で迎えられました。


 選手がステージに一人ずつ呼ばれ、紹介されます。その立ち位置には体重計が仕込んであり、選手がそこに立つと観客に大きく体重が表示されるようになっています。
 150キロを超える選手だと超盛り上がります。108キロの僕では完全にスベった感じでした。


 ファンと一緒になって食事をし、酒を飲んで、楽しいお祭りでした。自分はプロの選手なのだという「自覚」がこういうイベントの度に盛り上がります。


 1998年4月1日
 「おいタモーン、ちょーっと来いや。次のシリーズ入れ」と、2ミニッツオフェンスに突如呼ばれました。が、準備不足がバレました。ホケツというのは本当にダメな生き物です。
 負けるにふさわしい。覚えておくぐらいの努力がなぜできないのか、不思議やわ。「試合で使うで。ちゃーんと覚えとかなあかんで。わかってんの?」とオフェンスコーディネーターに念を押されました。


 でも公式戦に出られるかも、というワクワクなど全くなく、何しろ怖くて仕方ありません。本気のアメリカ人と試合で激突なんて…。そして、ビビりすぎた僕は人生初の「ネックロール」を装着して試合に臨むことを決意します。
 ネックロールなどカッコ悪いので「恥」としていましたが、どうやら命の危険を感じていたようです。用具係に相談すと「なんぼでもあんで。明日用意しとくわ〜」。ああ、どんどん堕ちていく。

【写真】首を痛めないように初めてネックロールをした多聞さん