先日、米軍チームと若年層日本選抜試合が行われ、日本がボロ勝ちしました。点差がついた試合終盤(94―22でリードした残り27秒の場面)に日本側がオンサイドキックで攻撃権を無理やり取りにいくという作戦を遂行した事で、アメリカ人を相手にしたゲームにおいてアメリカの古き歴史の紳士協定、暗黙の了解を破り、自分たちが世界一偉いと思い込んでいるアメリカ人の高いプライドを踏みにじり、アメリカチームのコーチ陣が全員ブチ切れリアクション。「トモダチBOWL」という名称の大会にもかかわらず、友達でも何でもなかったというケチとオチがつきました。


 そして関西学院大学がアイビーリーグのプリンストン大を大阪に招待し、交流戦をしましたが残念な結果となりました。しかしこちらは至って紳士的。
 試合が決まった終盤、1軍がベンチに下がるまではパスで無理に前進しようとせずランプレーで時間を使い、「これ以上点を取る必要はない」というプリンストン大の紳士協定遵守が見えました。


 過去10度のライスボウル出場経験のある関西学院大ですが、30点差もついて負けたことはありません。しかしアメリカの大学生、しかも全米ではそれほど強くないチームに30点差で負けてしまう。近年では学生最強の関学がです。
 これを「体格差」「スピード差」と言って終わらせていると日本のフットボールは前に進みませんし、アメリカとの差は埋まるどころか開きます。じゃあどうすれば良いのか、何が悪いのか。


 答えは僕のコラム(過去も含む)のほうぼうに散らばっています。では「アトランタキャンプ日記」の続きでヘタレな僕をお楽しみください。


 1998年3月9日
 さて待ちに待った(ウソ。怖くて逃げたい)対外スクリメージの日です。相手はマーサカワグチ率いる「アムステル・アドミラルズ」です。以前にはアベタクロウ氏、コーチではキーヨ森さんが所属していたチームです。
 練習はいつも通り始まりましたが、試合用ユニフォームを着用しているので緊張感は思いっきり高まります。自信があるどころか、コテンパンにやられるのはハッキリしているのでとてもイヤな気分です。


 コーチから「アーユーレディ?」なんて聞かれますが、「お前はガールか?」と聞かれているようでなりませんでした。相手チーム選手も毎週行われる「カット(解雇)」におびえ、当落線上ギリギリの選手は、対外スクリメージ(つまり練習試合)でコーチに良いところを見せようと、死に物狂いで僕のような無名のヘタレにタックルしてくるのは必至です。


 スクリメージも終盤、いよいよ僕に出番が回ってきました。まずは右のインサイドゾーンから1度バウンスアウトして縦に切り上がるデザイン(注1)のランプレー。
 ラインのブロック(注2)がうまくいかなかったこともありノーゲイン。次は3歩ドロップバックの早いタイミングのパスです。僕の役割は身長2メートル近くある黒人の守備エンドが手を上げてボールをカットしようとるのを妨げることです。


 まあ何とか仕事は遂行しました。うまくいったかどうかは憶えていません。3プレー目は右側へのランプレー(ストレッチ/アウトサイドゾーン)です。チーム内では小兵の僕はこのようなオープンプレーでグッドスピードを見せておく必要があります。
 しかしこれも残念ながら日本でも苦手なプレーですのでノーゲイン。4プレー目は左のインサイドゾーンフェイクからのプレイパスです。僕がフェイクしたところで誰も警戒していませんが、一応そういうプレー。これで終了です。


 個人記録は2回0ヤード。寒い結果と言えばそうですが、まあ仕方ありません。体の冷えきった試合終盤にチョロっと出場機会が与えられるのはサンスターで慣れている(注3)ので、集中力の欠如、プレー間違い(英語の聞き間違いも含む)もなく、まあまあ無事終了と言えるでしょう。
 まだ他の4チームとの対戦が残されています。夕食の時、首が痛くなってきました。やはり本チャンアメリカ人のタックルは違います。


 1998年3月10日
 軽めの練習で終了。ホテルで長時間休憩。少しミーティングして終了。


 1998年3月11日
 午前の練習は軽めですぐに終わりました。(注4)そして午後はまた対外スクリメージ。タッチダウン誌の取材陣も到着し、張り切っていたらまた英語の聞き間違いか急に変更になったのかは不明ですが、結局チーム内で軽めの練習のみでした。夜はタッチダウン誌の写真撮影。


 1998年3月12日
 今日の対外スクリメージの相手はフランクフルト・ギャラクシー。NFLに招待された日本人コーチたちが大勢で見学に来ていました。
 緊張して平常心を保てず、パスキャッチを2度もエラー。ちなみに練習中にアメリカ人が落球するということはほとんどありませんのでとても滑稽なシーンです。プロ選手として失格です。そしてスクリメージは一切入れてもらえず、ヘルメットを脱いで見ているだけでした。


 ホテルに帰り、スコティッシュ・クレイモアーズVSロンドン・モナークスのスクリメージVTRを見ました。板井征人選手は体調不良でアウト。安倍奈知選手はたくさん出場していました。すごく励みになりました。
 日本で所属しているサンスター・ファイニーズのトレーナーの西岡さんやチームメートの武田真一選手(日本大卒)も来ていたので、日本語でペチャクチャ話すのがとても楽しく、遅くまでBARで遊んでしまいました。


 1998年3月13日
 前日遊びに行く前、西岡さんにメインテナンスしてもらったので体の調子がすこぶる良い感じで目覚めました。さすがです。ありがとうございます。
 午後の練習中、急にヘッドコーチが全員を集めて「今からデニー(注5)がボールオン25ヤードのフィールドゴールを決めたら今日はもう終わりにしたる、どや?」と叫びます。選手たちは「ヤッホー、デニーいけやー! 決めたらんかいー!」と大興奮でした。


 すぐにスナップされ37ヤードのキックをデニーが見事に決め練習終了。爺さん(注6)やけどアメリカ人は粋やなあ、と感心しました。急に時間ができたのでレコード屋に出掛けて、閉店までずーっとお宝レコードを探していました。
 が、よく考えたらココでレコードなんか買ってもドイツに行って数カ月過ごして日本帰るまで持っているのは大変だと気付きました。言葉が不自由なフットボールだけの生活が2週間になろうとしています。


(注1)翌年、自分にとってこれが最も得意なプレーとなり、ゲームで大きくゲインします。ラインが1人プルアウトしてリードしてくれるのですが、速くて的確なので走り易さは絶品でした
(注2)あとでビデオを見た結果です。その時はまったくわかっていません
(注3)他の黒人RBたちは各大学のエースだったわけです。なので彼らにとっては久しぶりのホケツだったのでしょう。ホケツの在り方は僕の方が数段上でした
(注4)選手の疲れが出てきて、けが人も増えてきているので仕方なく練習強度を落としているのでしょう。治療をサボる者には厳しい注意が与えられます。日本人は治療ダイスキなのにね
(注5)1999~2001の3年間のNFLライフで、フィールドゴールは蹴らずキックオフだけを200回ほど蹴っている不思議な黒人キッカー。1歳半だった僕の長女チコと仲良し。現在は金融マン
(注6)爺さんにしか見えなかったけど、実はこの時58歳。見た目はヒゲなしサンタクロース。ペンステートからレッドスキンズ、カウボーイズでパス成功率38%のホケツのクオーターバックだったそうです

【写真】今でも親交があり、ハドルボウルではチームメートの多聞さんと板井征人さん=撮影:佐藤誠