前回から少し時間をさかのぼります。1996年度。サンスター1年目のシーズンが終わるや否や、新聞にとんでもない記事が出ていました。
 「阿部、世界行けるぞ!」という見出しで、京都大出身、先日の日本選手権「ライスボウル」で最優秀選手賞(ポール・ラッシュ杯、後に僕自身も受賞)を獲得したばかりのトップスターである阿部拓朗選手が、NFLの下部組織である「ワールドリーグ(WORLD LEAGUE、後のNFLヨーロッパリーグ)」のテストに他2名(関学OB池之上貴裕さん、京大OB伊藤重将さん)とともに合格したという記事です。


 しかも、彼ら以外に十数人ほども受験していました。関東での開催でしたが、このような試験が開催されるとは全く知らなかった僕は本当に驚き、そして受験すらできなかった不運を悔やみます。
 関西圏からの受験者はいなかったようなので、「関東だけで秘密裏に開催されたのかな? いや待て、阿部拓朗選手は京都大やから関西圏在住やないか。おかしいぞこんなん!」という思いでした。


 次週のサンスターの練習でコーチに新聞記事を見せて「コーチ、関東でこんなテストがあったようです。なぜ僕らには知らされなかったのでしょうか? おかしくないですか?」と聞いたところ、返事はこうでした。「ああ、それなー。受ける人いてるかって案内がチームに来てたけど、誰もおらんと思うて放っといたわ。あれ、オマエ受けたかった?」でした。
 なんであなたが決めるんですか、というのが僕の正直な感想でした。でも、チームでもホケツの僕が受験したところで受かるはずもありませんし、もうすんだことなので仕方ありません。


 あまりにも遠くに君臨し輝きまくっていたアメリカのプロフットボールが向うから降りて来てくれたのです。こんなチャンスを逃す手はありません。日本選手権で大活躍するという目標は置いたまま、このプロフットボールを目指せば、所属チームの強弱に関係なく自分のチカラと熱い思いを表現できるかもしれないと考えたのです。


 まず新聞やフットボール専門誌の取材記事を読み漁り、テストの内容をチェックしました。40ヤード走や基礎的な体力を見た後に、各ポジションでフットボールの動きをチェックされるということくらいしかわかりません。
 いずれにせよ「足が速く」「体は大きく」「国内で敵なし」が絶対条件だということくらいはわかりました。


 阿部拓朗選手は身長約190センチの巨体でライスボウル覇者。その他の合格者も体重100キロを超える大きさ。なおかつ、日本のフットボール界ではその名を知らない者はいない超有名な実力者です。強くて速くて賢くてうまい。
 しかし、ボールを持つ役割の選手(ランニングバックやレシーバーなど)は残念ながら合格者なし。とはいえ、受験者の中にはランニングバックとしてオールスター戦で活躍する有名選手もいました。いくらサンスターが強豪とはいえ、チーム内でもレギュラーでない僕ごときでは全く太刀打ちできないことは簡単に理解出来ました。


 では何をすべきか? 太りやすい体の徹底的な整備は当然として、40ヤード走のタイムを少しでも速くするくらいしか、スグにやれることが見当たりません。
 幸い三武ペガサス時代から継続している「100メートルスプリント走」の練習は日常的に行なっていたので、トレーニング方法を少し変化させれば良いだけです。走る距離を短くするのです。


 100メートルスプリント練習では、まず高速時のハイギヤ走行でのロスをいかになくすかを重要視して訓練します。思いっきり走ると50メートルを過ぎたころからスピードがかなり速くなります。
 クルマと同じでアクセル全開ですから自動的に最高速が出ます。自分の出せる最高速で走ることは、日常ではほとんどないので普通は慣れていません。なので、スプリンター以外は高速域での走行が非常にヘタクソです。ブレーキをかけた状態で走行するというおかしな現象になってしまいます。


 着地時に抵抗が多すぎては高速域での伸びは期待できない走り方になってしまうのです。坂道を下る車輪のごとく、スムーズに抵抗を少なく両脚を回転させ、重心は高く高くできるかどうかが非常に重要なのです。


 しかし、40ヤード走では違ってきます。この高速域がない訳ですから、練習しなければならない種類は減少します。その分「スタート」「低速」「中速」「ゴール」だけに集中できる訳です。
 スポーツにおける技術や考え方は、科学や人間の進歩によって「その時代で最も正しいとされること」というのはどんどん変化します。
 短距離走でも同じことが言えます。流行もどんどん変わっていきます。われわれは陸上選手ではありませんが、陸上選手と同じ能力を持った上でフットボールをするのがマナーなわけですから、当然陸上選手と同じだけの練習をしなければなりません。
 知識は最新の雑誌やハウツー本、関係者などから貪欲に情報を収集し、自分に合った答えを自分なりに見つけて、「これなら挑戦できる」という部分を探し当てるところから始まります。


 オートバイや自動車の運転を楽しむのがお好きな方でないとわかりにくい例えで申し訳ありませんが、練習方法としてはまずスタート練習として最初の3歩の力配分と足をつく位置を練習の中で決めていき、その後の4歩目5歩目で中速へのシフトアップを用意し6歩目から2速にシフトアップします。
 そして何歩目に3速に入れて、そのまま引っ張って40ヤードをゴールするのか、ロスを覚悟で4速に入れてからゴールするのか。各ギヤの特性と自分のエンジン部分である体の都合や調子、上達具合でいろいろ変化させ、一日に300回程度ですが毎日毎日繰り返します。


 たかが40ヤード走ですが、前出の阿部拓朗選手らと同じ舞台に立とうとするならば、どんな細かいことでも徹底的に突き詰めて、それでもおそらく足りないワケです。やってやり過ぎることはないでしょう。


 40ヤード走が、NFLや米国においてとても重視されるのはさまざまな理由がありますが、多くの日本人アメフト関係者はこう言います。「40ヤードなんか速かっても意味ないねん」と。
 この変な言い伝えに邪魔はされたりしたものの、メキメキと40ヤード走のコツをつかんでいく日々は自分の成長を体感でき、あのワールドリーグというなんだかわからない世界を目指して必死でもがき苦しむ日々は、上級者になった後のフットボール人生よりも圧倒的に面白かったなと後になって感じました。


 毎日毎日「これ以上絶対できない。オリンピックのメダリストでももう倒れるハズだ」と思える程の過酷な鍛錬の日々を送りながら、サンスターでは相変わらず「プレーを覚えられないド素人」という位置づけでベンチをしっかりと温めていました。


 1996年の僕は、フットボールの理解力向上と1部リーグの考え方を脳みそにたたき込む作業、そしてワールドリーグ合格に向けての体力作りに全てをかけていました。もちろんあの新聞記事は会社の営業車に常備して、毎日何度も何度も見てはヤル気を奮い立たせていた事は言うまでもありません。

【写真】「ハドルボウル」に出場した阿部拓朗さん(左から3人目)ら往年の名選手たち